ヒロ斎藤が引き出した「赤鬼」渕正信。ケンコバが重ね合わせた、上京後の千原ジュニアに抱いた悔しさ (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

斎藤に引き出された「赤鬼」が飛躍

――斎藤さんがその"すごみ"を引き出したということなんでしょうか。

「そうかもしれませんね。斎藤さんは、あのジャイアント馬場さんが認めるほどプロレスがうまかったですし。渕さんのすごみと、斎藤さんのうまさが凝縮された試合やったと思います」

――当時の全日本は、1985年から長州力さんが率いる「ジャパンプロレス」が参戦して日本人対決が主軸になっていました。

「そうですね。俺は同世代のファンのなかでも古い天龍ファンなんです。『第三の男』と呼ばれていた時から好きで、テーマソングの『サンダーストーム』もカッコよかった。なかなか人気が出ないのが歯がゆかったんですが、長州さんたちが乗り込んで天龍さんが真っ先に迎撃する形になり、天龍さんが輝いたじゃないですか。だから、あのジャパンプロレスとの抗争は、個人的にすごく嬉しかったです」

――そのヘビー級同士の日本人対決がジュニアにも波及し、斎藤さんが渕さんの"すごみ"を引き出したと。

「それはあると思いますよ。ジュニアでは小林邦昭さんも絡んできて、意地と意地のぶつかり合いのような試合になってましたから。あの時代のジュニアは、飛んだり跳ねたりがないけど、レスリングで見せるレベルの高い試合ばかりでした。

 小林さんが渕さんを胴締め式の裸絞めで勝った試合があるんですが、新日本のマットで初代タイガーマスクの佐山サトルさんと何度も激闘を繰り返した小林さんが、『佐山にも出さなかった技を出させられた』って言ったのも印象的で。小林さんはタイガーマスクにも出さなかった奥義を、渕さんに出さざるを得なかったんです。

 こうして語っていると、当時の世界ジュニアの流れはあらためて検証したほうがいいんちゃうかなとも思いますよ。それほど、あの時代もすごい試合が多かったですから」

(第4回:蝶野正洋が武藤敬司と組んだIWGPタッグ戦で掟破りのパンチ攻撃>>)

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