ケンコバがヒロ斎藤と渕正信の「流血の因縁」から学んだこと。「男には、ベルトより大事なものがある」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • 山内猛●撮影 photo by Yamauchi Takeshi

渕が耳を指差しアピール

――ただ、当時の全日本プロレスの日本人選手は、総じて白かったような......。

「天龍源一郎さんもそうでしたね。天龍革命以降の記憶が強く残ってる人は浅黒い印象があると思うんですけど、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんに続く『第三の男』と言われていた時代は真っ白でしたから。あれは何やったんですかね? 馬場さんのイズムなのか......。

 もしかしたら、馬場さんが全選手に『会場の外を裸でうろうろするな』って言ってたのかもしれませんね。新日本プロレスの選手は、特に地方の大会では、会場の外で日なたぼっこしていた選手が多かった。でも全日本では、そういう行為が禁止になっていたのかもしれない」

―― 一方、ヒロ斎藤さんの印象はどうでしたか?

「俺が最初に斎藤さんを見たのは『ワールドプロレスリング』でした。カナダで高野俊二が頑張っている、といった映像が流れるなかで、『カナダではこんな試合もあります』とヒロ斎藤vs髙田伸彦(現・延彦)の試合が流れたんです。それを見た時に『海外で日本人同士が戦ってるんや』と、軽いカルチャーショックを受けたことを覚えています」

――1983年12月19日にカナダのバンクーバーで対戦していますね。当時、斎藤さんはカナダ地区での武者修業中で、そこに猪木さん、藤波さん、若手のホープだった髙田さんも参戦。髙田さんと斎藤さんは20分1本勝負で対戦しました。

「年末にはテレビ朝日で録画の映像も流れていましたけど、斎藤さんは上田馬之助さんみたいにロン毛の金髪になっていた。当時からセントーンをやっていて、『やけに試合を盛り上げる人やな』と脳裏に刻み込まれました」

――そんな2人(渕と斎藤)が、武道館を経て後楽園ホールで再戦する流れになりました。

「なぜ後楽園のほうの試合が好きかというと、武道館の試合で渕さんが斎藤さんに耳を切られた因縁があったからなんです。渕さんは試合中、ナックルパートを決めたあととか、ロープブレイクってなった時とかに、『耳の傷の恨み、覚えてるぞ』とアピールするようにやたらと耳を指差すんです。

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