ゆうこりん全盛期に「デブ」と言われたグラビア界で自信喪失。まなせゆうなが明かす、リングで 「主人公」になるまでの軌跡 (2ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • 林ユバ●撮影 photo by Hayashi Yuba

「ゆうなはデブだね」

 まなせは1987年、千葉県千葉市に生まれた。父、母、3つ下の弟がいる。

 5歳の時、新体操を始めた。幼稚園に新体操のクラブチームがあったのだ。

「長い廊下があって、体育館の窓の隙間からリボンが動いてるのが見えたんです。夕焼けの中、ひらひら動くリボンがすごく綺麗で、『私もやりたい!』って言ったのを覚えています」

 新体操には団体と個人があるが、まなせは個人で活躍。小学校1年生から6年生まで関東大会で優勝した。将来の夢は、新体操の先生だった。

「選手じゃなくて、先生になりたかったんです。新体操の先生が大好きだったんですよ。もちろん、まずは選手として活躍しなければいけないんですけど、最終的には教える人になりたかった。お姫様とかお花屋さんとかケーキ屋さんとか、そういう夢は一回も持ったことがないですね」

 小学校4年生の時、両親が離婚。引っ越した先の中学校に新体操部があった。加えて地元の稲毛海岸にイオンの世界チームがあり、そこにも所属することになった。世界チームは体重制限が厳しく、中学1年生で身長が164cmあったまなせは苦しめられることになる。

「体重を32kgくらいにしなきゃいけなかった。34kgだとヤバい。35kg以上は存在価値がない、みたいな......。身長は関係ないので、『ゆうなはデブだね』っていつも言われてました。新体操は芸術スポーツで、見た目が点数に反映される。30kg台をずっと維持してましたね。お菓子を食べたことなかったんですよ。食べていいのは素麺みたいなスルメだけ。誕生日のケーキもお寿司のケーキでした」

 16歳の時、国体の強化選手に選ばれたが、新体操は出場できる選手の数が少ない。争いごとも多く、いざこざから怪我をしてしまう。休んでまた国体を目指す道もあったが、エースだったまなせにとって休むということは耐えられなかった。新体操をやめる決断をする。

「ストイックでしたね。技が失敗したりすると、1位になっても泣いていた。今だと信じられないですけどね。なんでもいいじゃんって思う。生きてりゃいいじゃんって(笑)」

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