女優とプロレスの二刀流を実現する志田光。「1年だけ」から始まったスターへの道 (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • 林ユバ●撮影 photo by Hayashi Yuba

「プロレスってこんなにキラキラするんだ!」

 2008年4月、テレビ埼玉『筋肉美女-Muscle Venus-』の連動企画として、映画『スリーカウント』の企画が立ち上がる。志田がオーディション会場に行くと、アイスリボンの佐藤肇社長に「プロレスラーとして練習して、デビューできたら映画に出られます」と言われた。驚いたが、演技経験はないがスポーツはできる「自分向き」の企画だなと思った。

 オーディションでは500人いた女優の卵たちが、どんどんやめていく。実際に練習に来たのは100人。次の練習では50人、次は30人、次は10人......。「私も『なんでプロレスしてんだろう?』って思いました」と志田は言う。最終的に残ったのは8人。現在もプロレスラーとして活躍する、藤本つかさ、松本都もそこにいた。

「演劇」「音楽」「プロレス」を組み合わせた舞台『魔界』での志田 photo by 魔界「演劇」「音楽」「プロレス」を組み合わせた舞台『魔界』での志田 photo by 魔界この記事に関連する写真を見る 8月23日、新木場1stRINGにて、対星ハム子戦でデビュー。映画では見事、主役の座を獲得した。しかし、プロレスは1年でやめると決めていた。「1年は続けなければいけないが、その後は自由にしていい」という契約だったからだ。

「プロレスに対して真剣じゃなかったし、今思うとその1年は後悔しかない。もっと真剣にやっていたら、全然違っていたと思います。アイスリボンの先輩方に『あいつ、やる気ねーな』と思われるのは当然だし、ファンの方にも『二足の草鞋でプロレスを甘く見ている』と叩かれたけど、それも当然のことです」

 コーチはさくらえみ。さくらは志田の才能に惚れ込んでいた。志田が「プロレスをやめたい」と言うと、さくらに倉庫のような部屋に連れて行かれた。「志田さん。一回、本気でプロレスだけやってみない? 短い期間でもいい。半年でもいいから、私に志田さんの半年をちょうだい。絶対、スターにするから」――。

「でも私は『無理です、無理です、プロレスもう無理です』って言いました。当時はさくらさんのことを、めちゃくちゃうるさいオバさんだなと思ってたんですけど(笑)、私が女優をやりたいのも知っていたので、『プロレス界で一番にならないと、その枠は回ってこないんだよ』とずっと言われていて。それは今でもそうだなと思います。その言葉でやってきた、みたいなところもあります」

 翌年6月、映画が公開された。8月の後楽園ホール大会を最後に、プロレスをやめることは決まっていた。しかし映画館で自分が主演した映画を観て、感動した。

「プロレスしている私、めっちゃ輝いてたんですよ。そこで初めてプロレスの魅力に気づいたというか。『プロレスってこんなにキラキラするんだ!』と思って、アイスリボンに頭を下げて、『すみません、続けさせてください』って言いました。そこからはもう、なんでもやるって決めましたね。言われたらなんでもやるし、アイスリボンに尽くそうと思いました」

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