藤波辰爾が50年目の新技と鋼の肉体へのこだわりを明かす。「僕のレスラーとしての命は黒のショートタイツ」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Nikkan Sports/AFLO

【68歳、驚異のスタミナ】

 デビュー50年に満足することなく、新技に挑むことでさらなる飛躍を誓っていたのだ。その新技「ドラゴンバスター」は、ドラゴン・スープレックスと同じようにフルネルソンで固め、その体勢から相手を持ち上げて頭上でクラッチを離し、そのまま後頭部をマットに叩きつけるもの。試合前は技についてまったく明かさなかった藤波だったが、試合後、新技を編み出すまでのイメージを口にした。

 フルネルソンで固めたことについては「どっかで、自分が一番いい時のイメージがよぎるんだよね」と、ドラゴン・スープレックスからの派生技であることを明かした。当初は、自身の膝を立てて相手の背中を突き刺す「バックブリーカー」を考えていたという。「だけど、最後に足を抜いてああいう形になりました。結果的に決まってよかった。自分の中でまたひとつ、引き出しを開けました」と瞬時の判断を自画自賛した。

 驚くべきは新技だけではない。対戦したTAMURAは、藤波より26歳下の41歳。それほど年齢が離れた相手から、蹴りの連打やミサイルキックなど激しい攻めを受けながらも、息を切らすことなく17分52秒を戦い抜いたのだ。このスタミナと、筋肉が隆起する年齢を感じさせない肉体に、ファンからは絶賛の声が相次いだ。

 レスラーは年齢を重ねると、スタミナの消耗が激しいシングルマッチを敬遠する傾向がある。しかし藤波は"一騎打ち"で18分近く戦った。これだけでも奇跡的だが、当の藤波は「時間が経てば経つほど、調子が上がってくるのがわかった」と衰え知らずのスタミナに自信をのぞかせた。

 驚異の肉体は、育った環境とたゆまぬ努力の賜物だ。幼い頃は、炭焼き職人だった父親に弁当を届けるため、毎日のように山道を約2時間歩いたことで強靭な下半身が培われた。1970年6月に日本プロレスに入門してからは、過酷なトレーニングを耐え抜いた。中でも、新日本プロレスに移籍した後の海外武者修業で、カール・ゴッチの自宅で受けたマンツーマン特訓は、筋骨隆々な肉体の礎になった。

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