「プロ」の悪役だったブッチャー。凶器攻撃はレフェリーとのアイコンタクトで発動した (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Tokyo Sports/AFLO

 同じ「凶悪レスラー」でも、ブッチャーと対照的だった外国人レスラーがいたという。それは、1981年7月に新日本プロレスから全日本に移籍したタイガー・ジェット・シンだ。

「シンは、ブッチャーと違って無差別にお客さんを襲うし、会場の床を壊したり、窓ガラスを割ったりしてね。その頃に、全日本は観客のケガ、器物を破損した場合の補償として保険に入ったんです。シンには参りましたよ......。あんなヤツには二度と会いたくないです(笑)」

 シンと違って、悪役としての"マナー"を守っていたブッチャー。ザ・シークとの「史上最凶コンビ」で暴れまわったが、実はシークとの仲はそれほどよくなかったという。その根底には、今以上に根強かった人種差別問題があった。

「シークとは控室もバラバラ。ブッチャーも差別的な空気を自分で感じていて、他の外国人レスラーと同じ控室にはいたくないようだった。例えば後楽園ホールだったら、控室から出て、エレベーターの前にひとりでポツンと座っていることが多かったです」

 そんなブッチャーの気持ちを汲み取ったのが馬場で、「馬場さんはブッチャーのことを考えて、俺たちに『別の控室を用意してやれ』とよく言っていました。それで、試合前に別の控室を見つけて小さい部屋を用意すると、ブッチャーは『サンキュー。サンキュー』ってめちゃくちゃ喜んでくれましたよ」と和田は振り返った。

 ヒールとして人気者になって以降も、ブッチャーは私生活では倹約家だったという。

「食事の時に、ご飯に砂糖をかけて食べていたことにはビックリしたね。他におかずも何もなし。"砂糖ライス"しか食べてない理由は、外国人レスラーの世話を担当していた先輩レフェリーのジョー樋口さんが、『あいつは金を使いたくないから、いつもご飯に砂糖かけて食うんだよ』って教えてくれて。ギャラは日本で使わずに、そのままアメリカへ持って帰りたいと考えていたんだよね。

 でも、スタッフには感謝の思いを形で表していたよ。ある時、地方の居酒屋でスタッフみんなで飲んでいたら、店員さんが注文してないビールを瓶で5本ぐらい持ってきて。『あちら様からです』ってそっちを見ると、ブッチャーがいたんだ。あとは、サインを頼むと、俺たちには特別に自分の似顔絵入りのサインをしてくれたり。リングを離れるとかわいいというか、礼儀正しくて人柄のよさを感じました」

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