「選手ではなく、自分を責める」井上康生監督。史上最強の柔道ニッポンに育てあげた

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

『天地人』である。金メダルを量産した日本柔道には、「天の時、地の利、人の和」があった。とくに人だ。柔道競技最終日の7月31日。混合団体の表彰式が終わると、日本武道館の畳の上で、日本男子の井上康生監督は、選手たちの手で3度、宙に舞った。

選手たちに胴上げされた井上康生監督選手たちに胴上げされた井上康生監督

 井上監督は、今大会を最後に9年の任期を終え、退任する。号泣した。胴上げされた時の心境を問えば、43歳は述懐した。

「(混合団体が銀メダルで)悔しいという思いが半分、幸せな気持ちが半分でした。こんなすばらしい選手たちと共に9年間戦わせてもらったこと、そしてこのオリンピックを戦わせてもらったこと、これほど幸せな者はいないという気持ちだけでした」

 ミックスゾーン(取材エリア)。背筋を伸ばし、からだの前できちんと組んだ左腕には白色の腕時計があった。よくみれば、バンドには黒色で「3・4・6」と日本国旗が刻印されていた。裏ぶたには、「TOSHIHIKO KOGA」とレーザー刻印が施されているそうだ。

 実はこれ、3月に53歳で急逝した1992年バルセロナ五輪71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんの追悼モデルである。古賀さんは長年、日本女子の強化をサポートしていた。「私のヒーローでした」と井上監督は言った。

「我々は全階級で金メダルをとるため、チーム一丸となって、努力してきました。この過程の中でいろんな方々からサポートしていただいた。古賀さんの魂を受け継ぎながら、我々は戦えたのでないかと思います」

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