柔道世界王者の医学生となった朝比奈沙羅。父との衝突に「マジで許さん」と奮起、受験に臨んだ

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • photo by エンリコ/アフロスポーツ

――大学の医学部への進学はどの時点で決めましたか?

「医学の道を選んだことに関しては、言い方がちょっと適切かわからないんですが、医療従事者である父からの"洗脳"というか、『沙羅は将来お医者さんになるんだよ、なるんだよ』って、呪文のように言われながら育ったので(笑)、気づいたらそう思っていたというか。でも、最終的には、高校2年時の文理選択の際、自分の意思で医師を目指そうと決めました。

 それまで柔道部の生徒は、文系を選ぶのが通例だったんです。なので、顧問の先生は、私も当然文系だと思っていた。そこを半ば、『暗黙の了解』を破る形で、理系を選びました。理系を選べば、物理・化学・生物・数学の難易度は格段に上がります。私が渋渋で底辺に近い成績だったこともあって、進級を心配する声もあったんですが、担任の先生は応援してくれたんですよね」

――どんな先生だったのでしょうか。

「物理の先生だったんですが、少し変わった先生で(笑)。もともと一番の苦手科目だった物理で、先生になったそうなんです。その理由は、『苦手だった人のほうが、わからない人の気持ちがわかるから』というものでした。そういう人こそが、科目の専門家になったほうがいいという考えの人だったんです。その先生が私の決断をサポートしてくれました。あと医学部を目指したのは、父との衝突も関係しているかもしれません(笑)」

――進路をめぐって喧嘩したんですか?(笑)

「やっぱり、柔道メインで中高時代をすごしてきたので、『医学部に入る』って目標が漠然としていたというか、本当に医学部に入れるのか、自信が持てなくなった時期があって。加えて、医師を目指すということは、おのずと柔道の辞め時も考えなければならない。それで父に相談したんですよ。

 そしたら、『じゃあ、やめれば?』って言われて。これまで散々『医者になれ!』って言ってきたのに、そんな雑な言い方ある? と思って、『マジで許さん、絶対に医者になってやる』と思ったんです」

――その一言で火がついたんですね。

「もともと負けず嫌いの性格なので、『じゃあわかった。医学部の受験が終わるまでは本気でやる。それで合格しようがしまいが、そのあとは自分の勝手にする』と、父に宣言したことを覚えています」

――しかし、現役での東海大医学部の受験は不合格だったんですよね。

「そうなんです。入学した翌年(2016年)にリオ五輪があったので、それに向けて充実した環境で柔道ができて、医師の道も目指すには東海大医学部が最適だと思いました。でも、ダメでした......。不合格とわかったとき、すごく悔しかった。でも、悔しいって感じるということは、自分の医師になりたい思いは本気だったんだなと。その気持ちに改めて気づけたんですよ。それで、今後も医学部を目指し続けることにしました」

(後編につづく)


Profile
朝比奈沙羅(あさひな さら)
1996年生まれ、東京都出身。ビッグツリースポーツクラブ所属。小学校2年生から柔道をはじめる。渋谷教育学園渋谷中・高から東海大体育学部を卒業し、2020年春に獨協医大医学部に入学。今年6月、現役の医学生として出場した2021世界柔道選手権ブダペスト大会の女子78キロ超級で優勝した。

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