柔道世界王者の医学生となった朝比奈沙羅。父との衝突に「マジで許さん」と奮起、受験に臨んだ

  • 門脇 正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • photo by エンリコ/アフロスポーツ

――そうして見事、渋渋に合格したわけですね。中学校に入って以降、勉強と柔道はどのように両立していましたか?

「勉強と柔道の両立=『日常』って感じでした。中学2年生から全日本の強化選手に選ばれたのですが、あの頃は合宿が多かったんですね。年に6、7回とか。しかもそれぞれ1週間くらいあるので、授業に出られなかったところは、内容が抜けてしまって。

 だからこそ、合宿中に時間を見つけて勉強しようと思ったんですが、他の強化選手は大学生や社会人ばかりであまり話題も合わず......。練習後には、『合宿中なのになんで勉強してんの?』『眠れないから電気を消して』と、言われることもありました。でも、自分としては両方頑張りたいっていう気持ちが強かった」

――中学校の同級生から見れば、全日本レベルで戦っていた朝比奈選手は憧れの的だったのでは?

「みんなふざけて、『世界の朝比奈』とか呼んでましたが、『マジでやめろ!』って言ってました(笑)。あまり、褒められるのが得意じゃないので。

 ただ、部活をやってない子たちを見ると、やっぱりキラキラしてるわけですよ。渋谷にある学校ということもあって、放課後、スタバに寄ったり、センター街で遊んだりって姿を見て、うらやましく思うことはありました。自分とは違う人生の歩み方をしてるというか、青春を謳歌しててズルイって(笑)」

――都会的な学校生活を送る同級生が、柔道と勉強で忙しい朝比奈選手にはまぶしく映った、と。

「はい。でも、あるとき、代表合宿で、ひとつ年上の近藤亜美先輩(リオ五輪柔道女子48キロ級銅メダリスト)と話したとき、『柔道が生活の中心になるのは当たり前。自分は生半可な気持ちで強化選手になっていない』って言われて。トップレベルの選手は、みんなそういう気持ちで戦っているんだって、ハッとさせられました。私は甘ったれているなと。そこからは、同級生に対して、うらやましいとか思わなくなりましたね」

――今振り返れば、中高一貫の学校を選んだのは正解だったと思いますか?

「そうですね。渋渋に独自のカリキュラムがあったということも大きかったと思います。帰国子女の枠で入ってくる子もいるし、東大や京大のみならず、海外の大学を受ける生徒のための対策もしっかりしていたので、多様性にあふれた学校でした。本当にいろいろな同級生がいたので、刺激になりましたね」

――友達にも恵まれた?

「そうですね。中学1年生の時、同級生が試合の応援に来てくれたんです。そこで父が、『休みの日なのにわざわざありがとうね』と声を掛けたら、その子たちが『彼女は私たちの誇りです』と言ったらしくて。中学生がそんなことを言うなんて、と目を丸くしていました(笑)。

 私たちの代は、浪人生を含めて35人も東大に合格した、とんでもない学年だったんです。意識が高いというか、みんなで上を目指そうっていう雰囲気があふれてました。今でも同窓会で会ったり、学年全体のLINEグループで連絡をとったりしてます」

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