「幻の金メダリスト」が義足で再デビュー。谷津嘉章の新たな野望

  • 井木 康文 ●取材・文 text by Iki Yasufumi
  • photo by DDTプロレスリング

 1980年に新日本プロレスに入団をした谷津は、まずはアメリカでデビュー。翌81年6月24日にアントニオ猪木とタッグを組み、スタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャーという強力外国人タッグを相手に流血のデビュー戦を果たした。

「新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、昨年再デビューをする予定でした。延期になってしまったことは歯がゆい気持ちでしたが、悪いことばかりではありませんでした。延期の1年分、義足がさらに進化をしたからです。義足を開発されている川村義肢株式会社さんの熱心な研究もあり、さらに性能が向上しています」

 義足レスラーにとって、体を鍛えることと同様に、義足の技術向上は自身のパフォーマンスに直結をする。

「再デビュー戦は自分だけでなく、義足の開発研究に携わっていらっしゃる皆様の想いも背負って戦いたいです」

DDTの懐の深さと前例を作る重要性

 再デビューに向けて想いを馳せるのは義足開発会社だけではない。 

「川村義肢株式会社さんの他にやはり感謝を申し上げたいのは、再デビュー戦を行なわせて頂くDDTです。"義足レスラーの試合"という歴史上前例のないことですので、普通はリスクを計算して断られてしまうこともあると思います。義足を履いている自分のケガのリスクや、義足による攻撃力が未知数のため、相手のレスラーも予期せぬケガをしてしまうリスクがあるためです」

 万全の準備をしたとしても前例のないことはリスクを計算し尽くせないケースもある。そんなリスクを背負ってでも再デビュー戦を組んだDDTに対して感謝とリスペクトを語った。

「ニュースなどを見ていても前例がないからやりませんという話はよく聞きます。しかし、誰かがやらないと前例は生まれません。そんな前例を自分が作ることで、谷津がやってるんだったら自分も!と後に続く誰かが出やすくなればいいなと思います。前例がないならば作ればいいんです」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る