アンドレ、ホーガン、ベイダー・・・。藤波辰爾が即答した「最高の外国人レスラー」は? (2ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

 アンドレはヒールのイメージを守るため、日本のファンに対して冷たい態度を取るなどしていたことから、「日本が嫌いなのでは?」というイメージを持っていた人もいるかもしれない。しかし実際は日本が好きで、来日するたびに外国人レスラーのボスとして選手をまとめていたという。

「いつも楽しそうに巡業を回っていましたよ。アンドレはアメリカでトップの選手ですから、他の外国人レスラーたちも彼を慕っていた。試合前の控室で、アンドレを囲んでカードゲームをやっていたのを思い出します(笑)」

 アンドレに続いて藤波が名を挙げたのは、全米でトップを取ったハルク・ホーガン。

 1977年にデビューし、1979年にWWF(現WWE)に初登場。身長201cm、体重は130kgを超える恵まれた体を持ち、のちに王座も獲得してスーパースターになった。だが、初来日した1980年当時は不器用な選手だったという。

「光るものはあったのかな、と思えなくもないんですが、将来スーパースターになることは想像もつきませんでした。でも、新日本で猪木さんとタッグを組んだり、我々と戦うことによって、試合運びを覚えていった。日本に来るたびに洗練されていった感じですね」

 ホーガンの歴史に残る名勝負といえば、1983年6月2日に蔵前国技館で行なわれたIWGP優勝戦。アントニオ猪木にアックス・ボンバーを見舞ってKOし、病院送りにしたとして世間を大いに賑わせた。

「ホーガンは、最初から自分がスターになることを疑わなかったというか、高いプライドを持っていました。信念やスタイルを変えず、実際にそのとおりになったのはすばらしいです」

 そんなホーガンとは対照的に、ビッグバン・ベイダーは常に葛藤していたという。ベイダーは元NFL選手で、ケガによる引退後、1985年にプロレスラーとしてデビュー。1987年12月に初来日し、以後、藤波とはIWGP王座を巡って幾度となく名勝負を繰り広げた。

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