藤波辰爾が「邪魔だった」長州力の反逆。数々の名勝負はガチの憎しみをぶつけた

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Tokyo Sports/AFLO

 エリートの長州と、雑草の藤波。そんな2人の関係が逆転するのは、藤波が海外遠征から凱旋帰国する1978年のことだ。藤波は同年1月23日に、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWWWF世界ジュニアヘビー級王座を奪取。空前のドラゴンブームが起こり、人気が沸騰した。

 一方の長州は、北米タッグのベルトを獲得するなどの活躍は見せていたが、期待されていたほどの実力を発揮できず、いつしか"中堅レスラー"という位置づけになっていた。プロレスの難しさに直面し、スターになれないことにイライラを募らせた長州は、1982年10月8日の後楽園ホールでその感情を藤波にぶつけた。

 猪木、藤波と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャーら外国人レスラーとの6人タッグマッチに臨んだ長州は、試合前から藤波に反抗的な態度を取り、互いのタッチを拒否するといったことが続いた。試合は9分30秒に藤波が相手をフォールして勝利。しかしその直後、長州が藤波に歩み寄ってビンタとボディイスラムを見舞った。

 この事件は、試合後に長州が「俺はお前の嚙ませ犬じゃない」と発言したとして世に広まった(実際には、藤波との扱いの差に不満は述べたが、「噛ませ犬」とは言っていない)。

 それから、プロレス史に残るライバル物語がスタートする。長州の反逆から2週間後の10月22日に広島県立体育館でシングルで激突し、11月4日の蔵前国技館で再戦。緊張感がある猪木の試合とはまた違う、スピード感あふれる攻防にファンはヒートアップした。

「長州が反逆したのは、何をやってもうまくいかないフラストレーションが溜まってのことだと思います。ただ、こっちからすればいい迷惑だった。あの頃の僕は、ジュニアヘビー級を卒業してヘビー級に転向したばかりで、進んでいく道にも理想があったんです。それを突然、長州が遮った。はっきり言って邪魔でしたよ。だから長州との試合では、そんなガチの憎しみの感情をそのままぶつけていました」

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