プロレスファンを魅了した数々の異名。「燃える闘魂」の名づけ親が語る誕生秘話 (4ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 平工幸雄/アフロ

「やっぱりプロレスラーは、『アントニオ猪木』とか『ジャイアント馬場』のように、聞いただけでレスラーとわかる名前がいい。彼は本名の吉田光雄でデビューしたから、『ファンへのインパクトが弱い』と、我々テレビ側も新日本側も感じていたんです。そこで公募をしたんですが、正直に言ってあまり応募が来なくて......。

 それで、中継スタッフと新日本による定例会議が開かれた時に、私が『長州力はどうですか?』と提案したら通ったんです。この名前は、まず『力』という名前をつけたいという思いがあった。でも『吉田力』では本名とそんなに変わらないから、彼の出身地をつけようかと考えたんです。山口県の徳山市で『徳山藩』だから、本当は『徳山力』なんですけど、どうも実況するとなると響いてこない。それで(徳山藩は長州藩の支藩だったため)『長州』としたんです」

 すでに"時効"の話だが、ファンの公募で決めたとされる「長州力」のリングネームは、実は舟橋の発案だったのだ。新たな名を得た長州は、猪木や坂口に次ぐヘビー級の3番手になり、藤波辰爾(当時:辰巳)との抗争など「革命戦士」としてスターの階段を上っていくことになる。

 プロレスラーの異名誕生の裏側には、舟橋らリングに魅せられた数々のスタッフたちのアイディアが詰まっていた。

(後編につづく)

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