プロレスファンを魅了した数々の異名。「燃える闘魂」の名づけ親が語る誕生秘話

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 平工幸雄/アフロ

「ずっと『"闘魂"アントニオ猪木だけでは、ファンに響かないな』と思っていたんですが、ある試合で実況した時に『闘魂、燃ゆる』とひらめいて、それを言葉にしたんです。前々から考えていたんじゃなくて、生中継の実況の流れの中で意図せず出た言葉でした。『燃ゆる』という言葉は、大学の応援歌や、いくつかの旧制高校の校歌などで使われていたフレーズで、それが私の中に刻まれていたので自然と『闘魂』と組み合わさったんだと思います。

 ただ、日本プロレス時代の猪木さんは、外国人レスラーとのアメリカナイズされた試合がほとんどだった。『闘魂、燃ゆる』というフレーズに合うような試合が少なくて、この言葉もあまり言っていなかったと思います」

 その後、新日本プロレス中継がスタートすると、猪木のファイトは日本プロレス時代と一変。タイガー・ジェット・シン、ストロング小林、大木金太郎、ビル・ロビンソンなどと、歴史に残る激闘を次々に繰り広げた。

「新日本を旗揚げしてからの猪木さんは激しく、まさに闘魂が燃えるような試合を毎週のように展開していました。その猪木さんの形相、迫力、体から醸し出す鬼気迫るような雰囲気を間近で見た私は、自然に彼を『燃える闘魂』と表現しました。日本プロレス時代に『燃ゆる』を使っていたので、その延長戦上で生まれたキャッチフレーズとも言えますね。どの試合でこのフレーズを使い始めたかは覚えてはいませんが、猪木さんの闘う姿をそのまま表現できたと思います」

 このキャッチフレーズは、猪木が引退して23年を迎える今もなお、代名詞としてプロレスファン以外にも広く知られている"最高傑作"と言えるだろう。

「私も常に、ファンの脳裏に刻まれるような言葉を探しましたが、やはり猪木さんの激しい試合があったからこそ生まれたフレーズだと思います」

 舟橋が編み出したのは「燃える闘魂」だけではない。猪木と共に昭和の新日本プロレスを支えた、坂口征二の「世界の荒鷲」も舟橋の作品だ。

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