阿部一二三と丸山城志郎の死闘。勝敗を分けた2度のブレイクタイム (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by Kyodo News

 勝負を分けたのは2度のブレイクタイムではなかったか。もちろん、阿部が恣意的に試合を止めたとは思わない。両者の顔にはひっかき傷が残り、柔道着には血がにじむまさに死闘のなかで、結果として時間の使い方でも阿部は冷静だった。

「ここまで長くなるとは思っていなかったですけど、想定外ではなかった。これまではゴールデンスコアで敗退することがありましたが、そうしたことが頭をよぎることはなかったです。あの大内刈りは、想定内というか、冷静さのなかで出た技でした」

 丸山にも勝機はあった。だが、阿部のリスクマネジメントが、丸山の美しく切れ味鋭い内股や、巴投げのような大技を封じた。

 昨年の東京世界選手権で優勝し、代表レースで一時は阿部を大きくリードしながら、五輪切符を逃した丸山は、こう声を落とした。

「ひたむきにやってきたんですけど......。自分を信じて、妻を信じて。毎日、一緒に稽古をしてくれた大野(将平)先輩に感謝の気持ちでいっぱいです。肉体的にも、精神的にも強くなれたのは阿部選手の存在があったから。彼の存在が僕を成長させてくれた」

 ライバルの存在が大きく自身の成長を促したのは阿部も同じだろう。

「丸山選手がいたから強くなれた。大きな存在だった」

 ふたりの世界王者がどの階級よりも長い代表レースを繰り広げた日本の男子66キロ級の代表決定戦は、そのまま世界の頂上決戦でもあった。

 無事に東京五輪が開催されれば──阿部は妹の詩(うた)とともに、同じ日、日本武道館の畳に立つ。

「今日、内定が決まって、ようやくスタートラインに立てた。オリンピックでは、兄妹で輝きたい」

 東京五輪の兄妹Vが果たせたなら、日本のオリンピック史に輝く偉業となろう。その陰で、24分に及んだ死闘の末、夢敗れた柔道家がいることもまた語り継がれていくはずだ。

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