阿部一二三時代を確信する戦慄の一本勝ち。18歳で五輪メダリストに圧勝 (3ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by Sho Tamura/AFLO SPORT

「講道館杯の時は正直、勝てるとなんか思っていなかった。心は『絶対に負けない』という気持ちなんですけど、どちらかというと、『思い切ってやろう』『自分の柔道をしよう』という思いが強かった。シンプルにがむしゃらにいこうという気持ちで。ひたすらに柔道を、試合をしようと思って。それがよかったと思います。

 でも、翌年の講道館杯で負けて、リオが難しくなった。代表になれなかったことで、それまでと柔道に取り組む姿勢は変わっていないですけど、より濃い稽古というか、いろんなことを考えて、稽古できるようになった。技のキレとか、技のパターンを増やしていかないと、海外の選手には勝てないと感じた。いろいろな面でまだまだ全然ダメだなと思い知らされた部分があったので、それを課題としてクリアするために取り組んできました」

 引き手、組み手が不十分であっても強引に技に持ち込むのは阿部が培ってきた力と俊敏性がなせる業であるし、技のバリエーションを増やしたことが、選抜体重別の圧勝劇につながった。阿部の母校である神港学園の信川厚総監督が落選からの日々を振り返る。

「講道館杯を制したことで、リオを目標に据えました。私は正直、間に合わないかなとは思っていたんですが、五輪を意識することで飛躍的に柔道が伸びていった。ただ、高校3年生(2015年)の講道館杯を優勝できなかったことで、可能性がほぼなくなった。経験、実績から海老沼選手が選ばれて当然の代表選考でした。私は阿部に、『勝つべきところで負けたおまえが悪い。焦らず、腐らず、次につなげていこう』と伝えました。4年後の五輪は、幸いにして東京で開催される。若くて、勢いのある阿部が、圧倒的に代表をリードしていくんじゃないかなとは思っていました」

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