中西学のレスラー人生ヒストリー。レジェンド集合のなかリングを去った (3ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

 それでも懸命なリハビリを行ない、2012年10月8日に復帰戦が実現した。両国国技館で行なわれたタッグマッチのパートナーは、2010年のプロレス大賞で中西と共に「最優秀タッグチーム賞」を獲得したストロングマンと、同世代の永田裕志。試合には敗れたが、中西の目元にはキラリと光るものがあった。

 492日ぶりのリングで輝きを放った中西だったが、徐々に活躍の場を失っていく。同年に親会社になったブシロードの経営戦略が見事にハマり、人気もV字回復した新日本プロレスは"新陳代謝"が激しくなっていった。その煽りを受けた中西は、ヘビー級レスラーがリーグ戦でぶつかり合うG1クライマックスへの出場がなくなり、タッグマッチや前座試合が増え、試合が組まれない日が長く続くこともあった。

 首のケガの影響も大きく、人前で弱音を吐かない中西が「以前と違い、リング上で思うように動くことが出来ない」と親しいスタッフに漏らしていたという。身長186cm、体重120kg。「野人」「和製ヘラクレス」と呼ばれダイナミックなプロレスをモットーとしてきたが、復帰後はその動きができずに苦しんだ。

 久しぶりに大舞台に立ったのは、今年の「WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム」でのこと。その第0-3試合のタッグマッチで、中西は永田と組み、天山広吉・小島聡と戦った。人気が下火になった時代も新日本プロレスを支え続けた"第三世代"の4人が躍動。中西も独特のムーブ「野人ダンス」で大観衆を味方につけた。

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