2020.01.09

オカダ・カズチカへの嫉妬、憂鬱な日々を
乗り越え、内藤哲也が2冠王者

  • 大楽聡詞●文 text by Dairaku Satoshi
  • 白鳥純一●撮影 photo by Shiratori Junichi

 若き日の内藤は、棚橋弘至、中邑真輔に続く新日本プロレスのエースとして期待され、自身も「20代でのIWGPヘビー級王座戴冠」を目標にしていた。しかし、それが叶えられぬまま30歳を迎えようとしていた2012年の1月、アメリカでの武者修行を終えて帰国したオカダが、当時のIWGPヘビー級王者だった棚橋に勝利。15歳でプロレスの世界に飛び込んだ当時24歳の天才に、目標としていたベルトをかっさらわれた。

 そんなオカダとの1度目の東京ドーム対決が実現したのは2014年のこと。IWGPヘビー級王者のオカダに、前年度に「G1クライマックス」を初制覇した内藤が挑戦することになった。中学時代からの夢でもある「イッテンヨン」のメインを飾るはずだったが......事態は思わぬ方向に動く。

 同大会の「ダブルメインイベント」として、中邑vs棚橋というインターコンチネンタル選手権も組まれ、試合順をファン投票で決めることになったのだ。結果、インターコンチネンタル選手権の得票数がIWGPヘビー級選手権を上回り、オカダvs内藤はダブルメインイベントの第一試合、実質の"セミファイナル"になってしまった。

 内藤は一連の流れを受けて、「新日本プロレスは、内藤にドームのメインを任せるのが不安なんだな、と思いました」とコメント。一部のオカダのファンからも「お前のせいでセミファイナルになったんだ!」という野次を浴び、心を痛めたという。

 失意のIWGPヘビー級選手権で、内藤はオカダに苦杯。翌月には、当時保持していた「NEVER無差別級」のベルトも石井智宏に奪われ、G1初優勝から半年を待たずして状況は暗転した。

 内藤に対してのブーイングが徐々にエスカレート。都内の会場で行なわれる大会を、毎回のように観戦していた内藤の母も、息子へのブーイングを聞くことに耐えきれなくなって足が遠のいていった。当時、古くからの新日本プロレスのファンであった筆者は、後楽園ホールでの大会で初めて内藤に対面する機会があったが、「後楽園ホールで僕にブーイングしてるでしょ?」と言われ困惑したことを覚えている。