古賀稔彦は絶体絶命から勝ち取った!バルセロナ五輪金メダルの凄み (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Koji Aoki/AFLO SPORT

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 その前日には吉田が78kg級で優勝していた。前年の世界選手権は3位で、男子チーム最年少の22歳。5月31日の大会で左足首を故障した吉田は、本格的な練習を再開できたのがバルセロナ入り直前からだった。さらに、自分との練習中にエースの古賀にケガをさせてしまった、というプレッシャーもあった。

 バルセロナでの日本人選手は、優勝を期待されていた95kg超級の小川直也が2位に終わるなど、それまでの3階級で金メダルがない状況だった。だが、そんな中で吉田は切れ味の鋭い内股を武器に、準決勝では91年世界選手権2位のヨハン・ラーツ(ベルギー)を開始4分39秒に内股で仕留めると、ジェイソン・モリス(アメリカ)と対戦した決勝では3分35秒に内股で勝利。6試合のすべてを一本勝ちで制する強さを見せて、日本男子柔道の危機を救っていたのだ。

 後に古賀は「吉田も絶対に勝つだろうと思っていたから、選手村でテレビを見ていて『ヨシ!』という感じでしたね。でも、その時に彼が『明日、古賀先輩が勝ったら本当に喜べます』と言っていたので。あれで余計に『これは勝たなければいけないな』と思いました。でも僕自身も、ケガをしたあととはいえ、まったく負けるとは思いませんでした。何とかなる、絶対に勝てる、と思っていたんです」と話した。

 普通ならまともに歩くこともできないほどのケガだったが、痛み止めの力も借りた古賀は、試合場に出てきた時は一度も足を引きずることはなかった。4回戦の対ブハラ(ポーランド)戦は、ポイントこそ奪えなかったが、多彩な技で攻めて3対0の旗判定で勝利した。そして、準決勝では開始1分12秒でシュテファン・ドット(ドイツ)に一本背負いを仕掛けた。ヒザを畳につかず、立ったままで投げる彼らしい背負い投げだったが、本来の鋭い切れ味はなかった。それでも相手を背負ってからあきらめずに、粘り切った投げで一本を取り、決勝へ進出した。

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