亀田和毅が断られ続けた相手と統一戦。条件すべて呑んで「ものにする」 (3ページ目)

  • 杉浦大介●取材・文 text by Sugiura Daisuke
  • photo by Kyodo News

----メキシコ、日本、アメリカで試合をしてきましたが、環境的にやりやすいと思ったのはどこですか?

「 やっぱりアメリカでやった時が一番興奮しました。(ラスベガスの)MGM(グランドガーデン・アリーナ)で試合をした時は、リングに上がる前も、上がった時も、楽しかったですね」

----2014年の防衛戦で、プンルアン・ソー・シンユー(タイ)をボディでKOした時ですね。

「そうですね。フィリピンなどでもリングに上がってきましたけど、やはりアメリカのリングは違うなと感じました。結果を出せば、強かったら認めてくれるというのが、シンプルで一番いいですね」

----アメリカのボクシングはスポーツエンターテイメントなので、ビジネス色が強くなるところもありますが。

「ボクシングはお客さんあってのもの。アメリカは試合前から"ショー"というか、エンターテイメント性を大事にしますよね。そういうのは日本もマネしていったほうがいいと思っています」

----亀田選手はまだ27歳ですが、大事な時期に、とくに2014年くらいから試合数が少なくなってしまったことへの悔しさはありますか?

「悔しいというのはないですけど、ちょっと焦りはありました。でも、それも勉強。時間ができたおかげで成長もできたと思っているので、マイナスの感情はなく、むしろプラスになったかなと感じています」

----これまでのボクシング人生を振り返って、どのくらい満足できていますか? 

「それなりに満足できています。自分がやりたい道で、やりたい場所で、やりたい選手と戦ってきた。一回も逃げたことはありません。アメリカで2回負けた時(2015年5月、9月のジェイミー・マクドネル戦:WBA世界バンタム級タイトルマッチ)も、自分がやりたかった相手に負けたので納得しています。ちゃんと挑戦を続けてこられたので悔いはない。もちろん、これからもっとやっていきたいという気持ちはありますけどね」

----今、話が出たマクドネル戦はどちらも接戦になり、個人的には1試合目は亀田選手が勝ったかなという試合でした。その試合も納得はできていますか?

「自分も『勝ったかな』と思いました。ただ、ジャッジの判定は変わらない。日本人がアメリカで試合をすると、判定になったら難しいということは、やる前からわかっていたこと。しょうがないことだったと思っています」

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