ジャイアント馬場が立案。幻の計画
「三沢と川田でタイガーマスク兄弟」

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kimura Moritsuna/AFLO

 また、三沢の高校の後輩で、1982年3月に入団した川田利明も受け身がうまかった。三沢は1984年8月から2代目タイガーマスクに変身したが、馬場の頭の中には川田を抜てきする考えもあったという。

「川田も三沢以上に受け身がうまかったですし、飛び技もできたから、『タイガーマスクは川田で』とも考えていたようです。でも、いろいろな要素をふまえて三沢をタイガーマスクにした。その後も、結果的には実現しなかったんですが、三沢に続いて川田もタイガーマスクにして、"タイガーマスク兄弟"として売り出すプランもあったんです」

 受け身のうまい選手を最大限に評価した馬場。逆に評価しない選手には「自分勝手にやりたいことだけやる野郎は許さん」と明かしていたという。

「例えばこんな話があるんです。外国人レスラーから、売り込みのビデオがよく馬場さんに送られてきたんですが、そういった選手のビデオは自分が攻めているシーンばかり。馬場さんが『オッ、こいつはいいなぁ』って評価したのは、決まってやられている選手でした。

 それで馬場さんが全日本に呼んだのが、ジョージ・ハインズでした。『攻める選手なんかいらない。受けるのがうまい選手がほしいんだ』と。だから、自分がやりたいことだけやって、技を受けないミル・マスカラスなんかは評価していなかったですね。人気があったから呼んでいましたけど、本当のことを言えば、馬場さんはマスカラスを呼びたくなかったんですよ」

 それほど受け身を重視していた馬場だが、何より馬場自身が受け身の達人だった。和田は馬場の受け身のうまさを、思わぬ場所で目の当たりにしたことがある。それは、ハワイで共にラウンドしたゴルフ場だった。

「馬場さんのボールがバンカーに入って、僕は少し離れたフェアウェイから見ていたんですが、不意に馬場さんの姿が消えたんです。『あれ、社長が消えた! 大丈夫か』と慌ててカートでそのバンカーに向かったら、馬場さんが両手広げて仰向けになり、受け身を取った態勢で倒れていたんです。芝に足が引っかかって倒れたらしいんですけど、その時、馬場さんはこう言いました。『京平、オレ受け身うまいなぁ。レスラーでよかったよ』って。それ聞いて爆笑しちゃいましたよ。とっさに受け身を取ったんでしょうけど、今でもあの馬場さんの姿は忘れられないですね(笑)」

(つづく)

(=敬称略)

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