「令和の怪物」の父は柔道界のレジェンド。斉藤立は重量級の希望の星 (2ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by Kishimoto Tsutomu/PICSPORT

 また155キロの巨躯ともなれば、どうしてもヒザや腰に負担がかかってしまい、ケガの心配がつきまとう。その点に関しても、仁氏は抜かりなかった。

 国士舘高校で斉藤を指導する岩渕公一監督が言う。

「立は体格のわりに、体が柔らかい。器用さもある。やっぱり、それは親父の指導の賜物ですね。今回の全日本に照準を合わせるために、(直前に開催された)高校選手権は個人戦に出場させませんでした。東京五輪? 本人が本気で目指すというのだから、私らはそれを支援していくだけです」

 大阪で育った斉藤は、上宮中学1年生の時に、父を亡くした。そして、中学卒業後は、父の母校である国士舘高校に進学することを決意し、国士舘大学に進学する3歳上の兄・一郎さんとともに上京した。

 母・三恵子さんが振り返る。

「親元を離れて、(立は)少し大人になったのかな。一緒に暮らしていた時は、とにかく甘えん坊でしたから(笑)。頼もしく成長してくれています。両手を広げて、相手に向かっていくのは、夫がそうしろと伝えていたようです。どんな意図があるのか、私にはわかりませんが、相手に対し精神的に優位に立つような目的があるのかもしれません」

 斉藤の成長を温かい目で見守るのは、81キロ級を主戦場にする兄も同じだ。

「性格は裏表がなく、穏やかで、素直です。柔道家として精神的にも、技術的にも大きく成長したと思います」

 国士舘高校のある世田谷区の住宅街に、数多くのオリンピックメダリストも通った中華料理の名店がある。斉藤は入学直後、名物の唐揚げ定食(ご飯・おかず大盛)のあと、えびそば、そしてさらにもう一皿、定食をたいらげ、その大食漢ぶりが商店街の話題となっていた。一郎さんが続ける。

「本当に昔からびっくりするぐらい食べていましたね。本人は東京五輪を本気で目指していた。僕らとしては来年にこだわらずに、東京の次のオリンピックを目指してくれたらいいと思っているんです。焦ってしまったら、ケガをしちゃうかもしれないんで......」

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