鈴木みのる、最強レスラーへの道程は「猪木の敵をとる」から始まった (5ページ目)

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by Sportiva

 2003年、鈴木はプロレス復帰する。下記は、拙著『最強レスラー数珠つなぎ』(イースト・プレス)の髙山善廣の章からの一部抜粋である。

※髙山は2017年5月4日、試合中に負ったケガが原因で頸髄完全損傷と診断され、首から下が動かなくなった。回復の見込みはないとされている。

<古巣の新日本プロレス。唯一、話し相手になったのは髙山善廣だった。試合が終わる度に、「俺の試合どうだった?」と尋ねた。そんな鈴木に、髙山は言った。「鈴木さんのプロレス、つまらない」――。

「必死に現代の技をやろうとしていたんです、溶け込みたくて。他の選手がやる技をやってみたり、受け身の練習をしてみたり。でも髙山は、それがつまらないと言う。技を知らない、受け身が取れない。それが鈴木みのるでしょ、と。だれよりも強いパンチ、だれにも負けないグラウンドテクニック。つまり俺の人生こそが俺の武器だということを教えてくれたのが、髙山なんです」

 たくさんの話をした。お互いが子供の頃に憧れていた、アントニオ猪木のプロレス。いまのプロレスは、その頃とはまるで違う。こんなに弱い奴らが、なんで偉そうに試合をしているんだ。飼い慣らされた猫じゃないか......。二人は意気投合した。いつしか鈴木は髙山のことを、「俺の友だち」と表現するようになった。

 二人でプロレス界を縦横無尽に暴れ回った。中でも鈴木が自身のベストバウトの一つに挙げるのは、2015719日、プロレスリング・ノア旗揚げ15周年記念大会。髙山は鈴木の持つGHCヘビー級王座に挑戦した。鈴木はパイプ椅子で高山の頭部を殴り、髙山は大流血。試合内容に納得しない観客から、リングにゴミが投げ入れられた。しかし鈴木はあの試合を振り返って、「なにひとつ後悔はない」と話す。

「もしもあの試合で受けたダメージが現在の彼の状況につながっていたとしても、後悔はないです。本人もないと思います。タッグを組んだら一緒に全力で闘って、笑い合って、敵になったら全力で殴り合える。そんな友だち、なかなかいないですよ。友だちだから全力で殴り合えた。手を抜いたら逆に怒られそうで」

 ノアと敵対した鈴木に対し、髙山は「俺は三沢さんにお世話になったから、ノア側につく」と宣言。それから二人は会話をしなくなり、プライベートで会うこともなくなった。そして昨年5月、髙山の体は動かなくなった。

 髙山を支援するTAKAYAMANIA設立記者会見で、鈴木は泣いた。泣きながら、髙山への募金を呼びかけた。ヒールの中のヒール。通称、"世界一性格の悪い男"。その男は友だちのために、日本中の前で泣いた>

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