2018.09.30

長州力を引っ張り出す。新日本参戦の
大仁田厚を後押しした裏方たち

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Sankei Visual

 真鍋アナは長州選手との試合実現にもひと役買ってくれた。オレの興行の試合前に、永島さんが長州選手の汗が付いたTシャツを持ってきて、「これが長州のメッセージ代わり」と伝えてくれた。そのときも真鍋アナがインタビューに来ていたから、アピールすることができたんですよ。実際は、あのTシャツがオレのところにきたときも、長州選手自身は対戦を決意してはいなかった。それでも、あれだけ放送されたことで外堀が埋まっていったんでしょう。

 真鍋アナとの大仁田劇場が話題を呼んで注目されたからこそ、長州戦への機運をキープし、高めることができた。真鍋アナという存在がなかったら、長州戦までたどり着かなかったでしょうね。彼がいたからオレは新日本でやっていけたし、長州戦も実現できたと思っています。だから、真鍋アナには本当に感謝していますよ。

 長州戦は2000年7月30日に横浜アリーナで実現。試合形式は電流爆破に決まって、この時点でオレは「勝った」と思いましたよ。「絶対に復帰しない」と断言していた長州選手を引っ張り出し、なおかつ、電流爆破をのんでくれましたからね。実際の試合での勝ち負け以上に、その2つを新日本と長州力が受諾したということが、オレにとって大きな価値がありました。

 当日は、超満員札止めの1万8000人が横浜アリーナを埋めて、CS放送のスカイパーフェクトTVが初めてペイパービューで生放送を実施するほど、異様な盛り上がりを見せました。1万円のチケットがオークションで47万円にまで跳ね上がったとも聞きます。放送席も、真鍋アナが実況する大仁田側の放送席と、辻よしなりアナが実況する長州側の放送席と2つセットしてね。真鍋アナには当日、「これを着て実況しろ」と、3万円で買ったスーツをプレゼントしましたよ。

 ただ、試合内容は少し残念だった。長州選手のサソリ固めでレフェリーストップで負けたんだけど、オレは有刺鉄線にボディスラムで投げられて4回も被爆。だけど、長州選手は1度も爆破を浴びなかった。そのとき思ったのは、長州選手はチキンだったのかなってこと。

 それと、プロレス観の違いもあったと思う。オレは馬場さんから教えられた「プロレスは受け身だ」というスタイルを貫いた。それに対して長州選手は「攻めること」が自分のスタイルだと信じて戦ったから噛みあわなかったのかなと、今になって思うところですね。

 目標だった長州戦を終えて、オレは新日本から去ることになりました。たった1試合にたどり着くまで2年近くかかったことは、それまでになかった経験。最初はどうなるかわからない新日本参戦でしたが、自分の信念を貫けば願いは叶うんだということを教えられました。

(つづく)

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