過激デスマッチで限界→引退も・・・すぐに復帰で大仁田厚に吹いた逆風 (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

 結局オレは、引退試合でハヤブサと対戦しました。5万8250人の観衆を集めて、川崎球場の最多動員を記録。新しいFMWは、リングアナウンサーの荒井昌一に社長を任せることにしました。

 一方でオレは、大河ドラマ『秀吉』で蜂須賀小六役をいただくなど、タレントとしても順調でした。でも、FMWのエース格としてデスマッチ路線をけん引していたミスターポーゴさんが引退することになって、荒井社長から「ポーゴさんの引退試合の相手は大仁田さんしかいません」とお願いされて、1996年12月にリングに復帰したんです。

 引退試合からの復帰が早かったこともあって批判もありましたが、その後は地方でオレが出ればファンは沸くし、プロモーターも金額を上乗せして興行権を買ってくれる。そこが他の選手にとっては面白くなかったんでしょう。だんだん溝ができて、横浜文化体育館でのビッグマッチが終わった翌日、1998年11月21日に事務所に呼ばれたんです。

 部屋に入ると選手全員が集まっていてね。荒井社長から「これからは新生FMWとしてやりたい。大仁田さんは関わらないでほしい」って言われた。オレは「わかったよ、じゃぁバイバイ」って。その日にFMWとさよならしたんです。

つづく

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