過激デスマッチで限界→引退も・・・すぐに復帰で大仁田厚に吹いた逆風

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

大仁田厚の邪道なレスラー人生(3)】

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 フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング(FMW)は、1989年に旗揚げした当初の格闘技路線から、同年末にデスマッチを打ち出してファンから支持を得ました。でも、オレの中では「有刺鉄線デスマッチ」だけでは手詰まり感があった。「もっとインパクトのある試合はないか。観客が五感で楽しめるプロレスはないだろうか」と考えていました。

"耳と鼻を刺激するプロレス"を考えていて頭に浮かんだのが、映画『ゴジラ』だったんです。ゴジラが高圧電流に当たると、バチバチって火花が散りますよね。あのシーンをプロレスでできないかと思った時に、「有刺鉄線に電流を流して、そこに爆弾をつけたら・・・・・・」とひらめいたんです。そこでうちのスタッフに、特殊効果の専門会社に連絡を入れるよう伝えました。

 その回答のほとんどが「無理です」だったんですが、一社だけ「できますよ」と言ってくれた会社があって、そこからすべてが動き出しました。火薬を薬のカプセルに入れて、それに激突すると破裂する仕組みを作ってくれた。

 でも試合は、消防法の関係で屋外でしかできない。会場を探しまわってようやく見つけたのが、今は高層ビルが林立している、当時は空き地だった汐留の貨物駅跡(レールシティ汐留)だったんです。

 世界初の「有刺鉄線電流爆破デスマッチ」は、1990年8月4日に行なわれました。オレの相手はターザン後藤。後藤とは全日本プロレス時代からの後輩で仲がよかったんです。FMW旗揚げ時に「パートナーでありライバルでもある選手が必要だ」と思って、当時、米国へ遠征に行ったままになっていた後藤に声をかけて参加してもらいました。

 電流爆破デスマッチという初めての試合形式だったから、相手には恐怖もあるし、信頼がなければ試合が成り立たない。そういう意味でも相手は後藤しかいませんでした。その思いを感じてくれたのか、後藤は何も言わずに電流爆破を受け入れてくれました。

 試合前、リングに有刺鉄線を巻いてそこに200ボルトの電流を流し、火薬が入ったカプセルを120個ほど取り付けました。試合前日に台風が来たので中止も覚悟したんですけど、当日は奇跡的に晴れてね。「オレにはまだツキがあるぞ」って思いましたよ。

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