「チケット持ってますか」の屈辱が、
「有刺鉄線デスマッチ」を生んだ

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kimura Moritsuna/AFLO

 ただ、お金はまったくなかった。事務所を構えるための部屋を借りる余裕もなかったので、全日本時代からの友達で、『ゴング』の記者をやっていたウォーリー山口さんが住んでいた西馬込の自宅で、空いている4畳半の部屋を借りました。そして、貯金の全額5万円と友達から借りた3万円を合わせて、7万2600円で電話の権利を買って事務所にしたんです。

 苦労してこぎつけた旗揚げ戦は、1989年の10月6日に名古屋の露橋スポーツセンター、10日に後楽園ホールで行なう2連戦に決定しました。社員やレスラーは公募しましたが、チケットの販売や営業など、あらゆることを自分もやりましたよ。

 オレの対戦相手は空手家の青柳政司(まさし)選手。青柳選手とは、その前年の7月に「格闘技の祭典」という大会でプロレスvs空手の異種格闘技戦で、セコンド同士が殴り合うほどの激しい試合をやったんです。そのときに、「この人とだったらいい試合ができる」と思って、対戦相手に指名しました。

 UWFへの対抗心があったので、UWFのように格闘技色を強くしようと、空手家、サンボなどの選手にも出場してもらいました。加えて、女子の試合も組み込んだ。若いころに遠征したメキシコでは、男子の興行で女子が試合をするのは当たり前。でも、日本では前例がなかったので、新しい団体をアピールするために女子プロレスの試合を組もうと考えていたんです。

 幸いにして、その旗揚げ戦はなんとか成功しました。それでも、団体を続けていくためには、異種格闘技戦ばかりではネタが尽きてしまうという危機感もありましたね。異種格闘技は猪木さんが最初に考えた試合形式ですから、どこまでいっても"二番煎じ"なので、ファンには飽きられてしまう。

 そのときに頭をよぎったのも、やはりUWFでした。彼らは他の団体との違いをアピールするために、ロープに振らないスタイルを打ち出していた。関節技とキックを主体に試合をしているのを見て、「UWFがロープに振らないんだったら、こっちはロープに有刺鉄線を巻いてやる。関節技やキックよりも、ロープに振られるほうが痛みを感じられるように」って思ったんです。一番ファンに痛みが伝わりやすいのはこのやり方じゃないかと考えたんですね。それで、1989年の12月10日の後楽園ホールで「有刺鉄線デスマッチ」を実施しました。

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