「チケット持ってますか」の屈辱が、「有刺鉄線デスマッチ」を生んだ (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kimura Moritsuna/AFLO

 それで知り合いに相談したところ、1986年に旗揚げしたばかりだった女子プロレスの「ジャパン女子」でコーチをやらないかという話をもらったので、1988年の秋ぐらいにそこに入りました。その年の12月には、ジャパン女子でグラン浜田さんと試合をすることになって。当時は女子プロレスのリングで男子が試合をするなんてありえなかったから、すべての選手やファンから大ブーイングでしたよ。

 その試合が終わって間もなく、オレの心に火をつける出来事が起こりました。

 当時のジャパン女子は、新日本プロレスで営業本部長を務めていらっしゃった新間寿(しんま・ひさし)さんが顧問を務めていたんですが、新間さんは「世界格闘技連合」いう新しい団体を立ち上げようとしていた。その新間さんから「UWFの前田日明(あきら)に挑戦状を渡してこい」と言われたんです。

 当時は前田が旗揚げした新生UWFが一大ブームを築いていました。新間さんは1984年に第1次UWFを創設した方で、"前田のUWF"に揺さぶりをかけようとしたんですね。それで、オレは12月22日に大阪府立体育会館で行なわれたUWFの興行に足を運んだんですよ。新間さんから往復の新幹線代だけもらって、なけなしのスーツと3000円ぐらいで買ったコートを着てね。

 しかし会場の入り口に着くと、UWFの神新二(じん・しんじ)社長が現れて「チケット持ってますか?」とひと言。「この野郎」って思いましたよ。どれだけUWFが人気だったか知らないけど、オレはこの世界の先輩じゃないですか。それなのに礼儀も何もなく門前払い。その瞬間に、「今のオレはここまでバカにされるのか。よし、見てろよ、この野郎。絶対に見返してやるからな」って、オレの中で火がついたんです。それが、自分で団体を作ろうと決意するきっかけでした。

 新団体の名前は、専門誌『ゴング』の竹内宏介社長に相談して決めることにしました。新しいことを開拓していく団体にしたいとお伝えしたら、「だったら、フロンティアって入れるといいんじゃない?」と提案してくださったので、「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング(FMW)」にしたんです。

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