7度目で本当の引退? 大仁田厚は
ジャイアント馬場に一度だけ反発した

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

 プロレスの指導に関しては、徹底して受け身の大切さを教えられました。「プロレスで大切なのは受け身なんだ」と何度も言い聞かされ、練習も受け身に多くの時間が割かれました。

 当時は、猪木さんが設立した新日本プロレスと、興行面でも激烈な争いがありました。ファンから見ると、攻めを重視する猪木さんたちのプロレスがカッコよく見えたと思うんです。でも、馬場さんは、「受け身こそプロレス」という考えを崩しませんでした。受けがあってこそ、攻めが光るのがプロレスなんだと。あの時に徹底して受け身を教えられたことが、オレが60歳までプロレスを続けられたことにつながっていると思います。

 ずっと尊敬していた馬場さんでしたが、一度だけ反発したことがありました。それは1976年10月に、大相撲を引退したばかりの天龍源一郎さんが全日本プロレスに入団した時でした。

 鳴り物入りで入った天龍さんは、すぐに海外遠征してスターとして注目されました。そんな天龍さんを見て、15歳の時から下積みでやってきた自分は「やってられない」と思い、馬場さんのマンションに行って「辞めます」と伝えたんです。

 まず馬場さんが、「辞めて何をするんだ」と切り出して。オレが「料理が好きだから、フランスでも行って修業してきます」って答えると、しばらく黙った後に「わかった。じゃぁ、オレかフランス料理か、どっちかを取れ」と2択を迫られたんです。馬場さんに目の前でそう言われたら、フランス料理を取ることなんてできませんよね。

 それで、「わかりました」と改心して、再びプロレスに没頭したんですが、左ヒザのケガが原因で1985年1月に全日本を引退。その後、紆余曲折あって1989年10月にFMWを旗揚げした時には、周囲からは「馬場を裏切った」と、多くのバッシングを受けました。

 でも、馬場さんは違ったんです。馬場さん自らFMWの事務所に電話を掛けてきてくれたこともありました。馬場さん本人だなんてこれっぽっちも思わないスタッフは、いたずら電話と思い電話を切ったらしくて。あとから馬場さんに「お前のところのスタッフに2度も電話を切られたぞ」と言われました。要件は、「FMWで予約してあった後楽園ホールの日程を譲ってくれないか?」でしたが。

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