7度目で本当の引退? 大仁田厚は
ジャイアント馬場に一度だけ反発した

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

 ある日、馬場さんの赤いタイツを洗濯したまま、ホテルに忘れてしまったことがあって。 仕方なく外国人選手の控室から適当なパンツを取ってきて、馬場さんに履かせました。馬場さんはそのまま試合に出たんです。失敗がバレていないと思っていたオレがホッとしていると、試合後に馬場さんが「今日のタイツ、誰のだ?」と呟いたんです。「ウソをつくな」という教えを破ったオレは、頭をゲンコツで殴られましたよ。

 一方で、ある巡業で移動する際に着るズボンを忘れてしまった時があったんですが、それは正直に謝ったんです。すると馬場さんは「そうか」と咎めることなく、その巡業ではずっとジャージを着て移動していました。ゲンコツで殴られたことより、こっちのほうが自分にとって堪(こた)えましたね。オレの失敗のせいで、天下のジャイアント馬場をジャージ姿で歩かせていると思ったら自分が情けなくて。馬場さんは自分の身を持って、いけないことを教えてくれた方でした。

 その後、18歳になって運転免許証を取ったオレは運転手も務めました。車中で聴くのは、ほとんどが民謡。オレの運転で温泉に行った時などは卓球をやったんですが、器用な人なのでカットが絶妙に上手だったのを覚えています(笑)。

 普段は、決して他人を批判するようなことは言わない人でしたけど、アントニオ猪木さんがモハメド・アリとの試合後に20億だか、30億だかの借金を抱えたって報じられていた時、車のなかでボソッと言ったんです。「なぁ大仁田、30億だったら、オレはキャッシュで返せるな」って。ハンドルを握りながら、「すげぇな馬場さん」って思わずシビレましたよ。決して表には出しませんでしたけど、そういうプライドを胸の内に秘めていました。

 そんな馬場さんにとって、やっぱり"巨人軍"は特別な存在でした。高校を中退して巨人に入団して、ケガが原因でプロレスをやることになるんですけど、プロ野球の盟主である巨人にいたことはとても大切にしていました。

 ある時、巨人のOB戦が行なわれて、そこに馬場さんも参加したんです。球場に着くと、青田昇さんはじめ錚々(そうそう)たるメンバーがいて、馬場さんは満面の笑みでみなさんにあいさつして回ったんですよ。馬場さんのあんな笑顔は、それまで見たことがなかったです。巨人のOBとして呼ばれ、大先輩にあいさつできたことがすごく嬉しかったんでしょうね。"巨人の選手だった"ということが、馬場さんの心の支えだったんだと、今も思います。

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