【国際プロレス伝・最終回】夢は続く。
アニマル浜口「国際魂」の叫び

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • 佐野美樹、原悦生●撮影 photo by Sano Miki, Hara Essei

【最終回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 アニマル浜口はずっと考え続けてきた。国際プロレス史における、3つの「もしも」があったなら......。そして最後、「国際プロレスとはなんだ?」との問いに、アニマルはようやく口を開いた。

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アニマル浜口が最後に「国際プロレスとは?」と自身に問いかけるアニマル浜口が最後に「国際プロレスとは?」と自身に問いかける「国際プロレスとはなんだ?」

 僕なんかが偉そうに語る立場ではなく、先輩たちを差し置いておこがましいですが、あえて言わせていただくと......国際プロレスについて、ずっと思っていることがあるんです。歴史に『if(もしも)』はありませんが。

 ひとつは、「もしも、吉原功(よしはら・いさお)社長が現役のメインイベンターだったら?」。

 バーン・ガニアの章で、吉原社長とガニアの共通点として、以下の3点を挙げました。(1)海外に独自の選手獲得ルートを築いたこと。(2)アマチュアレスリング出身でレスリングの基本を大事にされ、若手の育成に熱心だったこと。(3)巨大な勢力に挑んだこと。

 逆に、ふたりが決定的に違っていたのは、吉原社長は現役を引退し、日本プロレスで取締役営業部長を務められたあと、国際プロレスを設立して経営に専念されていましたが、バーン・ガニアはAWAを仕切って統率していく経営者でありながら、ずっと現役の看板選手だったということ。そう、日本プロレスの力道山先生、全日本プロレスのジャイアント馬場さん、新日本プロレスのアントニオ猪木さんのように。

 どちらがいいか、それはわかりません。もしかしたら、吉原社長が現役だったら国際プロレスはもっと長く続いたかもしれないし、16年間なんてもたなかったかもしれない。答えなんて出ないし、出るはずもないのですが、僕はどうなっただろうかと考えてしまうんです。

 ふたつ目は、「もしも、1968年1月、グレート草津さんがルー・テーズさんに勝っていたら?」。

 念願のTBS全国中継が決まり、団体名を「TBSプロレス」と改称して迎えた初戦。新設されたTWWA世界ヘビー級チャンピオンに認定された「鉄人」ルー・テーズさんに、団体を背負って立つエースに抜擢された草津さんが挑戦しました。

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