比嘉大吾、帰ってこい。減量失敗の大罪を抱え、ふたたび立ち上がれ (3ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 昨年5月の世界戦前、大きすぎるプレッシャーから深夜にパニック障害のような発作を起こしたこともあった。突然の発作に、死すら感じた比嘉は救急車を呼ぼうとするが思いとどまる。救急車を呼んだことが知られると、世界戦が中止になってしまうのではないかと思ったからだ。すぐに野木トレーナーを呼び、どうにか落ち着きを取り戻して、事なきを得ている。

 連戦連勝、KOの山を積み重ね、リングの上では敵なしに見えた比嘉。しかし、人目には映らない、その内面まで無敵だったわけではない。

 比嘉大吾という物語は、凡庸だった少年が、悩み、背負い、もがきながら世界チャンピオンになった物語だ。

 敗戦後、具志堅会長は減量の失敗を「短期間に試合をさせた私の責任」と語った。ただ、一般的には試合の間隔を狭めたほうが、減量苦は軽減されると言われている。もちろん、オフに体重が急増する比嘉にとっては、短期間での試合は諸刃(もろは)の剣だった。しかし、結果が裏目に出たことだけをとらえて、陣営のミスだと責めるのは的外れな気がしてならない。

 世界チャンピオンになることだけを目指してきた比嘉本人も、モチベーションの維持が難しかったことは容易に想像できる。

 それでいて、16試合連続KO勝利という日本新記録更新もかかっており、このタイミングで階級を上げるのはリスクが大きかった。さらには、もし階級を上げてノンタイトル戦を挟むことになれば、同じく沖縄出身であり、比嘉が尊敬する浜田剛史の記録をノンタイトル戦で塗り替えることになり、そこにためらいもあったのではないかと憶測ながらに思う。少なくとも今回の一連の騒動は、誰かひとりが悪かったと名指しできるほど単純な話ではないはずだ。

 もちろん健康面を考えれば、試合を行なったこと自体、疑問視される。減量の失敗はパフォーマンスに直結する。しかし、すべてを理解したうえで、比嘉は逃げたくなかった。試合前夜、比嘉は後援会の会員のひとりに、こんなメールを送っている。

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