【国際プロレス伝】大巨人アンドレは機内でビール100本を飲み干した (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Getty Images

 さらに1971年、ロシモフはふたたび来日し、3月開幕の「第3回IWAワールド・シリーズ」に参戦。カール・ゴッチにジャーマン・スープレックスを極(き)められるも、レフェリーがリング下でダウンしていたためにカウントされず、逆襲に転じたロシモフがゴッチからフォールを奪取。大会2連覇中のビル・ロビンソンとゴッチを僅差で抑え、見事に初優勝を飾った。

 全盛時の身長は223cm、体重は236kg。ロシモフといえば、人間離れした食欲と酒豪伝説が今も語り継がれている。

 ビールなら大ジョッキ50杯を飲み干し、試合前でもワイン1ダースを空け、焼き肉60人前、さらにはステーキ5kgをペロリ。また、機内では缶ビール100本を空けて、キャビンアテンダントから「他のお客様の分がなくなるので、もう勘弁してください」と言われたこともある。その呑みっぷり、食べっぷりを間近で見てきたアニマル浜口は昔を懐かしむように語った。

「レフェリーの阿部修さんや遠藤光男さんは外国人レスラー担当も兼ねていたので、ロシモフが来日すると大変でした。列車やバスにビールを大量に運びこまなければならないし、旅館やホテルでは布団やベッドを横にいくつも並べたりしてね。

 それに、彼がビール瓶を持つと、まるでリポビタンDを握っているみたい。ゴクゴク飲むなんてもんじゃなく、スッとなくなっちゃう。国際プロレスのころはひたすらビール。新日本プロレスのマットに上がるようになったころはもっぱらワインでしたね。彼が呑み始めると、みんな最初はおもしろがって見物しているんですけど、そのうち付き合っていられなくなって。途方もない呑み方ですから」

 ロシモフは1971年9月、北米に進出。まずはフランス語圏のカナダ・モントリオールを中心にAWAで活躍し、身長196cmの「人間台風」ドン・レオ・ジョナサンらと対戦する。

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