【国際プロレス伝】アニマルは見た!「神様」と「人間風車」の猛練習 (4ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO, Miyazaki Toshiya

東京・南千住にあるカール・ゴッチの墓東京・南千住にあるカール・ゴッチの墓「ゴッチさんはちょっとでも時間があれば、青山にあった国際プロレスのビルの地下で練習していましたね。当時、日本にはなかった高度なレスリング技を持っていたから『プロレスの神様』と言われたのでしょうけど、僕に言わせたら『練習の神様』です。

 プロレスを離れてから2年近いブランクがありながら、国際プロレスで見事にカムバックできたのも、ハワイで相当トレーニングされていたからでしょう。晩年も毎日、太陽が昇るとトレーニングしていたといいますから、レスリングが好き、練習が好きだったんでしょうね。

 そうそう、ゴッチさんはビル・ロビンソンとよく練習をしていました。いつもグラウンドでお互いの足を捕ったり、腕を極めたり、「ああでもない。こうでもない」と言いながら技の研究をしていたのかな。おふたりとも意地っ張りで、簡単にギブアップしないから、いつも汗だくで。

 ある日、僕は見ました。ロビンソンがゴッチさんにドロップキックを教えているところを。イメージと違うでしょう。しかも、弟弟子が兄弟子に、ですよ。ロビンソンのドロップキックは高くて、キレイでしたね。ゴッチさんはロビンソンに教わりながら何回か繰り返しましたが、やめてしまった。自分には合わないと思ったんでしょう。試合でもほとんど見たことないでしょ。なんか、ほのぼのとした雰囲気でした。プロレスラーとして、男として、いいものを見させてもらいました」
 
 2007年7月28日、ゴッチはフロリダ州オデッサの病院にて大動脈瘤破裂により死去。享年82歳。カール・ゴッチの墓は東京・南千住の回向院(えこういん)に建てられた。

 そして10年後の2017年7月28日、アントニオ猪木、西村修、藤原善明、木戸修、前田日明らが参列し、ゴッチの最期を看取ったジョー・マレンコがアメリカから持ってきた遺骨の一部を納骨。墓誌には『1968年日本へ移住 日本プロレスのコーチとしてアントニオ猪木にストロングスタイルレスリングの確立を成さしめプロレスの神様と称された』と刻まれ、ゴッチの言葉として『技術と精神は常に一緒だ 決して嘘をつくな 決してごまかすな そして決して放棄するな」と添えられている。

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

連載第1回から読む>>>

◆高まる「伊調馨」待望論。激震の女子レスリング、W杯で露呈した弱点>>>

◆右足を切断されながら、相手に殴りかかっていった男>>>

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る