【国際プロレス伝】アニマルは見た!「神様」と「人間風車」の猛練習 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by AFLO, Miyazaki Toshiya

 ゴッチさんと僕が同じだなんて言えませんが、どこかつながっているんですね。威厳と風格がありました。ハリウッド・スターのカーク・ダグラスとルー・テーズは交流があったことで知られていますが、僕はゴッチさんこそ、カーク・ダグラスのような雰囲気を持っていた人だなと思います」

 国際プロレスでプロレスラーとして再生したゴッチは帰国後、カナダ・モントリオールなどを転戦。1972年3月にはアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスの「オープニングシリーズ」に特別参戦する。また、外国人レスラーを招聘するためにマッチメイクも務め、猪木を、そして新日を支えた。

 1974年までにゴッチはアントニオ猪木と5度対戦し、戦績は3勝2敗。1973年10月14日には東京・蔵前国技館で行なわれた「世界最強タッグ戦」でルー・テーズと組み、アントニオ猪木&坂口征二と戦った。

 そして1982年1月8日、東京・後楽園ホールでの新日本プロレス「新春スーパー・ファイト」で愛弟子・木戸修と戦ったのを最後に引退。その後はアメリカ・フロリダ州の自宅で、日本から訪ねてくる若いレスラーを指導した。1984年には前田日明や藤原喜明、高田延彦など「ゴッチ・チルドレン」が立ちあげた第1次UWFの最高顧問に就任し、さらには船木誠勝や鈴木みのるが設立した新団体に「パンクラス」と名付けるなど、長く日本のプロレスを支え続けた。

 新日本プロレスで「ストロングスタイル」を確立したことから、自ら「弟子」と名乗るアントニオ猪木をはじめ、山本小鉄、魁勝司(北沢幹之)、柴田勝久、木戸修、藤波辰爾、坂口征二、小沢正志(キラー・カーン)、吉田光雄(長州力)、藤原喜明、前田日明、高田延彦、佐山聡(タイガーマスク)、西村修、船木誠勝、鈴木みのる......「ゴッチ・イズム」を継承した多くは新日本プロレス系の選手たちだ。

 例外的なのは、アメリカへ渡って門を叩いた全日本プロレスの渕正信くらい。また、来日して滞在日数2ヵ月ほどの国際プロレス参戦中にゴッチの教えを受けたのは、付け人だったアニマル浜口とデビュー前の鶴見五郎ぐらいである。アニマル浜口はゴッチから"おもちゃ"にされ、次々と関節技を極(き)められながらも、すぐにはタップせず、強くなっていった。

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