【国際プロレス伝】右足を切断されながら、相手に殴りかかっていった男 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

「僕は1976年6月16日に2度目の海外遠征へと出発しました。行き先はカナダ。そこで大剛さんにブッキングしてもらったりして、本当にお世話になりました。そうそう、こんな話をしても信じられないでしょうが、スパーリングをしたこともありますよ。ひざから下を切断している大剛さんと。グラウンド・スパーリングですけどね。

 そのときは一緒に酒を呑んでいたんですが、義足を外してくつろいでいた大剛さんが酔っぱらって『オイ、ハマ! ちょっとスパーリングしよう』と言ってきて。いやぁ、できっこないじゃないですか。どうするのかなと思っていたら、バックからいきなり股座(またぐら)を掴まれて。そのせいで血尿も出て、もう血だらけですよ。それでも翌日、試合には出場しましたが。

 今、思えば、大剛さんは『一瞬でも気を抜いたら外国じゃ生きていけないんだぞ』ということを教えようとしてくれたんでしょうね」

 国際プロレス崩壊後は、吉原功が新日本プロレスの顧問に就任したことをきっかけに、大剛も新日本プロレスの北米支部長に就任。カルガリーへ武者修行に来た若手選手――馳浩や西村修、天山広吉、小島聡、真壁伸也などを指導した。そして2006年に新日本プロレス北米支部が閉鎖された後も、大剛はフリーとしてレスラーのブッキングなどの活動を続けた。

「プロレスが好きで、好きで、練習も大好き。新日のブッカーとして日本に戻って来られたときも『ハマ、ちょっとダンベル貸してくれ』と言われるので、滞在先の都内のホテルまでジムの若いスタッフに20kgのダンベルや腕立て伏せの器具などを運ばせました。

 そうそう、大剛さんの怪力について、こんな逸話もありましたね。夜、クラブとか呑みに行くと、となりに女性がつくでしょ。その女性が着物を着ていると、大剛さんは帯を掴んで女性を軽々と持ち上げたそうです。

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