【国際プロレス伝】人物評は「ケンカが強い」。団体一の破天荒レスラー (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • ベースボール・マガジン社●写真

 同じ大相撲出身の先輩・豊登(とよのぼり)に仙台強(せんだい・つよし)と名付けられ、1966年10月12日に蔵前国技館で行なわれた東京プロレス旗揚げ戦でデビュー。東京プロレス崩壊後はラッシャー木村、寺西、大磯とともに国際プロレスに移り、リングネームを大剛鉄之助と改めると、前座ながら過激なファイトで人気を集めた。

 その後、AWA世界ヘビー級チャンピオンのマッドドッグ・バションに実力を認められた大剛は、1973年3月17日にバションが主戦場とするカナダへ遠征する。大剛は現地で「トーキョー・ジョー」と名乗り、モントリオールを中心に暴れ回った。

「大剛さんは大相撲から来られたので、身体は大きくないけど(174cm)、もともと立ち技が強い。そこへもってきてカナダで、日本では『岩石男』と呼ばれた最強伝説も残るジョージ・ゴーディエンコにガンガン指導されたみたいです。

 でも、大剛さんの強さ、すごさを説明するには、まずは若木竹丸さんの話をさせてください」

 浜口が言う若木竹丸とは、ボディビルを我が国に広めた「日本ボディビル界の父」であり、「昭和の怪物」と呼ばれた人物である。

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

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