【国際プロレス伝】人物評は「ケンカが強い」。団体一の破天荒レスラー (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • ベースボール・マガジン社●写真

「でも、それは裏を返せば、プロレスラーとしては"いいもの"を持っているということでね。ヤワじゃない。何と言うかな、戦国武将のような風格がありましたよ。

 その反面、1972年3月に僕が初めての海外遠征でアメリカへ武者修行に行くときには、『これを着ていけ』と高級なスーツを作ってくれてね。そういう優しさもあり、僕は若手のころからずいぶんと可愛がってもらいました」

 大剛鉄之助――本名・栄田幸弘(さかえだ・ゆきひろ)は1942年3月10日生まれ。プロフィールなどでは宮城県仙台市出身となっているが、樺太(からふと)の落合町で生まれ、戦後に仙台へ引き上げてきたと言われている。

 1958年に大相撲・湊川(みなとがわ)部屋へ入門し、翌年に本名の栄田の四股名で初土俵を踏んだ。その後、1962年に部屋ごと吸収される形で二所ノ関部屋へ移籍。四股名を栄岩(さかえいわ)、仙台と改めて幕下上位まで進むも、1966年の5月場所かぎりで廃業し、設立したばかりの東京プロレスに入団する。同期には寺西勇、永源遥(えいげん・はるか)、のちにフィリピンでプロレス団体を設立した大磯武らがいた。

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