【国際プロレス伝】アニマルとのタッグで大暴れしたマイティ井上の今 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • 原悦生●撮影 photo by Hara Essei

 それとタッグで試合中、戦っていないときはリングのロープの外、一番いいところで観させてもらっているわけですからね。井上さんと組んで、実に多くのことを学ばせてもらいました」

 1981年8月9日、国際プロレス最後の興行となった北海道・羅臼(らうす)小学校グラウンド大会。アニマル浜口は長期欠場中だったが、マイティ井上はラッシャー木村とタッグを組み、セミファイナルに登場。ジプシー・ジョー&ジェリー・オーティス(ジェリー・オーツ)を相手に有終の美を飾った。

 国際プロレス崩壊後、吉原(功/よしはら・いさお)社長の意向を受け、ラッシャー木村、寺西勇、アニマル浜口は戦いの場を新日本プロレスとしたが、マイティ井上は本人曰く「初めて吉原さんに逆らい」、冬木弘道、菅原伸義、阿修羅・原とともに全日本プロレスへ移籍する。

 全日本ではNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級チャンピオンや、阿修羅・原らと組んでアジア・タッグチャンピオンになるとともに、国際プロレス時代に流血試合で因縁の相手だったジプシー・ジョーとふたたび抗争。さらに渕正信(ふち・まさのぶ)、永源遥(えいげん・はるか)と「悪役商会」を組んで、ジャイアント馬場の率いる「ファミリー軍団」と戦い、「ファミ悪決戦」という愛称で人気を集めた。

 そして1998年6月、現役を引退。レフェリーに転向し、2000年から2009年まではプロレスリング・ノアでもレフェリーを続けていたが、2010年5月22日のノア後楽園ホール大会「マイティ井上レフェリー引退記念興行」を最後にプロレス界から引退した。

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