【国際プロレス伝】「チェーン・デスマッチの鬼」がリングから消えた日 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya

「人柄なんでしょうね。プロレス界を去って一般企業で営業のお仕事をされていましたが、成績もよかったそうで。その後は他の会社に引き抜かれ、役員をされたりもしていました。東京に来ると、女房の店にもよく顔を出してくれましたね。息子さんが格闘技界で活躍されているのは知っていましたが、ちょうど女子レスリングがオリンピック種目となることが決まって、京子がアテネオリンピックを目指しているときでしたから、残念ながら接点はほとんどありませんでした。

 あれは2007年の5月でしたか......。草津さんが食道ガンで入院されたと息子さんから連絡をいただき、女房とふたりで三島までお見舞いに行きました。ウイスキーを持ってね。あくまでシャレですよ。とにかく、よくなってもらいたい一心で。

 そのときは昔のバカ話をずいぶんとしましたね。アメリカでの出来事や、草津さんが八幡製鉄でラグビーをやっていたころから好きだった小倉の旦過(たんが)市場のこととか。旦過市場というのはね、『北九州の台所』と言われているところで、肉でも魚でも野菜でも、ありとあらゆる食材が売られていたんです。僕たちはおでんやおむすび、ぼたもちを食べたり、屋台で呑んだり、スナックに行ったりしてね。呑んで、騒いだもんです。『楽しかったなぁ』『呑みましたね』なんて、ふたりで若かったころを懐かしんだんですけど。

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