村田諒太は「月」に行けるか?ミドル級王者に向けて舞台は整った (3ページ目)

  • 水野光博●文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 村田は中学時代、髪を金色に染めてケンカに明け暮れる不良少年だった。当時の担任に勧められてボクシングを始めるも、練習がきつくて幾度も投げ出している。

 後のゴールドメダリストは、その端正なマスクで誤解されがちだが、平坦な道を歩んできたわけでも、エリートだったわけでもない。そして、大きな挫折も知っている。

 南京都高校(現・京都廣学館)時代に頭角を現した村田は、オリンピック出場を目標に掲げるも、地区予選で敗れて2008年の北京五輪出場は叶わず。一度は現役を退くも2009年、1年半後に現役復帰。そして迎えた2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得した。それは、日本人選手48年ぶりの快挙だった。

 その後、ふたたび引退を宣言するも、紆余曲折を経てプロへ転向。当時の心境を、こう吐露している。

「初めは引退するつもりだった。でも、チヤホヤされたことも含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にいける、もうちょっとボクシングがしたいと思った」

 なにより村田の背中を押したのは、ボクシングを本格的に始めた日々に思い描いた夢だ。

「五輪で金メダルを取ってプロ転向し、ラスベガスでやる」

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