【国際プロレス伝】ラッシャー木村、「金網デスマッチの鬼」と呼ばれた男 (5ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 結果は木村さんのノックアウト勝ちでしたが、試合中に左足を複雑骨折してしまってね。それでも、最後まで戦い続けて。試合後、僕と寺西さんが肩を貸してリングから控え室へ戻ったんですが、そこで力尽きて倒れた。すぐに病院へ運ばれて手術して、そのまま入院。それが浅草の病院でした。

 僕たち若手は、木村さんの身の周りのお世話をしに交代で行くわけですよ。1970年に青山から移った渋谷の合宿所からね。ある日、清美川梅之(きよみがわ・うめゆき)さん――大相撲の伊勢ケ浜部屋からプロレス界に入られた方で、あの大横綱・双葉山から金星を挙げたことがあり、プロレスではヨーロッパを中心に活躍されたのかな――その人が、『これ、持ってけ』と、一升瓶を渡すわけですよ。

 当時はそんな感じでしたね、おおらかというか、なんというか。木村さんも足をケガしているけど、内臓はヘッチャラだったし。ところが、病室で呑み始めたら僕が酔っぱらっちゃって。こともあろうに、木村さんのベッドで寝ちゃったんです、大イビキをかいて。『ハマ、コノヤロー』って、さすがにそのときは怒られましたよ。

 それから何日かして、僕がまたお見舞いに行ったら、木村さんが『ハマ、メシ食いに行こう』と。松葉杖ついて病院を抜け出し、タクシーでワンメーターほど行った田原町の小料理屋の前で降りたんです。木村さんが『席が空いているかどうか、ちょっと見てこい』と言うもんだから、僕が戸を開けて店内をのぞいたら、そこに今の女房がいたというわけです。母親とやっていて、『香寿美(かすみ)』という店でした。

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