熊本初の世界チャンピオン福原辰弥。
地方ジムが挑んだ手づくりの闘い

  • 古屋雅章●文 text by Furuya Masaaki

 死闘の結果は、ジャッジ2人が福原に、1人はカジェロスにつける判定で、福原が暫定世界王者となった。試合後、被災した熊本県民を熱狂させたリングを撤去したのは、本田会長にボクシングを習った教え子や所縁(ゆかり)を持つ人たち。撤去作業だけではなく、会場の設営や運営に至るまでイベント会社の手は入らず、本田会長の人間性に魅了された人々によって支えられた世界戦だったのである。

試合後、ジム関係者に囲まれて写真撮影に応じる福原 photo by Furuya Masaaki試合後、ジム関係者に囲まれて写真撮影に応じる福原 photo by Furuya Masaaki 試合の数日後、本田会長は「地方でボクシングジムをやるなんて大変だよ。世界チャンピオンが出たからって、すぐに練習生が増えるわけでもないし(笑)」と冗談とも本音ともつかないことを口にしながら、こう続けた。

「熊本にジムを開いて26年。やっている以上は世界チャンピオンを出すことを目指さないと、ジムをやる意味がないと思っていた。それに、地震で落ち込んだ空気の熊本の人が、福原みたいに頑張ったら自分たちもやれるんだという気持ちになってくれたら、それはやった甲斐があったと思う」

 一方、世界王者となった福原は「試合前は、やり残したことはないと思ったけど、終わってみたら、まだまだできたこともあったなと思います。前にガンガン出てくる相手を食い止められるように、パワーや強いパンチの打ち方も身につけたいですし、横に動く動きができていれば、戦い方も変わっていたでしょうしね。それに、試合前は『熊本の人たちのために戦う』と言っていたけど、自分のほうがお客さんの応援に力をもらったので、その恩を返していかなかなければと思っています」と語った。

 これほどの充実した試合でもテレビ中継はされず、興行を打った本田フィットネスは赤字を抱えることになった。また、福原は左目の焦点が少し合わない状態でありながら、世界王者となった一週間後にはもう仕事に出たという事実を知り、地方ジムが置かれる厳しい現実をあらためて感じた。

 しかし、福原と本田会長の挑戦は終わらない。暫定王者には、半年以内に正規王者と統一戦を行なうことが義務づけられている。そこで高山に勝利し、「防衛してこそ真の王者」という言葉を地方のジムから証明することが、これからの目標となる。

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