熊本初の世界チャンピオン福原辰弥。地方ジムが挑んだ手づくりの闘い (2ページ目)

  • 古屋雅章●文 text by Furuya Masaaki

 世界戦の期日を考えると会場の選定や資金的な問題も心配されたが、本田フィットネスボクシングジムの本田憲哉会長には「この機会を逃してはいけない」という想いがあった。

「福原は、日本タイトル(2015年11月22日)を取ってからは指名試合が続き、厳しい相手が多かった。2度目の防衛戦の相手が元東洋太平洋チャンピオンで、3戦目も7戦7勝の強い相手だった。下馬評では不利と言われた試合を乗り越え、勢いのある今こそやるしかないと思ったし、熊本地震から1年を前に熊本で世界戦をやるということが大事だった」

 その主張が受け入れられ、一転して福原vsカジェロス戦が決まったのが、去年の12月末だった。試合は2ヵ月後に迫っており、空いている大きな会場はなかなか見つからなかったが、上天草市長の協力申し入れで上天草市の松島総合運動公園・アロマでの開催が決まった。熊本県での世界タイトルマッチは33年ぶり2回目のこと。もし福原が勝てば、熊本県内のジム所属の選手としては初の世界王者となるという、熊本が「復興元年」と位置づける年に相応しい試合となったのである。

 試合の3日前、福原は調印式に出席するため、自家用車で熊本市内から天草まで2時間の長い距離を移動した。しかも、運転するのは福原本人。都内の大きなジムの選手なら、移動はタクシーか手配されたワゴン車で、減量でキツイ体を後部座席に沈めて景色を眺めながら移動していたかもしれない。

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