【国際プロレス伝】「欧州ルート」からビル・ロビンソンもやってきた (5ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 社長は何を呑んでいたのかなぁ。そうそう、ウイスキーの"ダルマ"、サントリー・オールドをよく呑んでいましたよ。どんなに呑んでも、酒に呑まれるということがなく、絶対に乱れない。みんなが呑んでいるのを黙って見ながら、静かに呑んでいました。その点は、ラッシャー木村さんも同じ。社長と木村さんが呑んでいると、ふたりともまったくしゃべらず、ただ黙々と呑んでいるだけ。それでふたりでウイスキーを2~3本空けていたな。

 僕はというと、もう真逆でね。呑めば騒ぐし、裸になって踊り出す。社長の前でも、呑んだら好き勝手にやっていましたよ。そうしたら、あるとき社長に言われたんです。『ハマ、おまえはいいねぇ。呑むとすぐ、いい気持ちになれて』と。

 社長はプロレスラーには珍しく物静かな方でしたが、歌もうまくてね。鶴田浩二さんの『赤と黒のブルース』や、『街のサンドイッチマン』をよく歌っていました。なんとなく鶴田浩二さんの、甘いけど陰りがあるイメージとダブるというか、逞しい背中に男の哀愁ってヤツを感じさせていて、カッコよかったですよ。"ダンディ"という言葉は、この人のためにあるのかと思いましたね。義理人情に厚く、不器用だけど筋を通す男気があって。昭和5年のお生まれですけど、明治気質な方で、男の美学を貫かれていました。僕は今でも、『吉原社長のそばにいたい』、そう思っています」

(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

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