【国際プロレス伝】「欧州ルート」から
ビル・ロビンソンもやってきた

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 あのころは航空券の手配やホテルの予約から、買い物や洗濯まですべて自分でやらなければいけなかった。そのうえ、当時は"ジャップ"とバカにされてね、ずいぶんと悔しい思いもしました。自慢じゃないが、まったく英語がわからないまま渡米して、2ヵ月もしないうちに英語でケンカしていましたよ。まぁ、相当いい加減だったでしょうけど。

 あれはね、『日本という国を、内と外からしっかり見つめろ。どんな相手にもビビるな』という吉原社長のお考えだったんじゃないかな。そんな経験をさせてもらったから、女子レスリング日本代表の特別コーチとして海外に渡ったときでも、どんなに大きい外国人コーチが来ようが少しも臆(おく)することなく、渡り合うことができたんです。

(ナニワトレーニングセンターの)荻原先生といい、吉原社長といい、偶然なんですけど、すごい出会いです。僕は本当に運がよかった。プロレスラーになれたことはもちろんですけど、入ったのが国際プロレスでなければ、吉原社長のもとでなければ生き残れなかったでしょう」

 国際プロレスといえば、関係者はもちろん、ファンの間でもよく知れた"酒豪"ぞろいである。さしずめ、グレート草津、ラッシャー木村、アニマル浜口あたりが「三大酒仙」といったところだろうが、社長の吉原も大の酒好きだった。

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