【国際プロレス伝】「欧州ルート」から
ビル・ロビンソンもやってきた

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 ところが、吉原社長はヨーロッパから選手を連れてきた。"人間風車"の異名を取ったイギリス人のビル・ロビンソンしかり、フランス人のモンスター・ロシモフ――のちのアンドレ・ザ・ジャイアントしかり。ロシモフは国際プロレスで一緒になったバーン・ガニアがアメリカに連れていって大活躍し、大スターになったんですから。

 前にも言いましたけど、社長はアマレスをやっていて、しかも早稲田の出身だったから、国際レスリング連盟の理事や副会長を長年務めた八田一朗さんとのつながりがあって、その関係でヨーロッパルートをつくれたんでしょう」

 1970年8月28日にはストロング小林、マイティ井上がヨーロッパ遠征に出発しているほか、田中忠治、八木宏、鶴見五郎らも次々とヨーロッパ遠征を行なっている。

「吉原社長は、選手たちをよく海外遠征に行かせましたよ。アメリカだけでなく、カナダ、ヨーロッパ、南米、ニュージーランドなどあちこちに。トップ選手たちだけでなく、若手も。それも吉原社長の功績でしょう。

 僕も入団3年目の1972年2月に武者修行としてアメリカ遠征に行かせていただいて、1年ほど各地を転戦しました。そして1973年に帰国。2度目の遠征は、1976年6月から。そのときも半年以上でしたね。インディアナポリス、デトロイト、シカゴ、ミネアポリス、さらにはカナダ、プエルトリコなども転戦しました。向こうでのリングネームは"ヒゴ・ハマグチ"。本名のヘイゴ(平吾)というのを、彼らはうまく発音できなくてね。

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