【国際プロレス伝】浜口平吾から「アニマル浜口」へ。ついに野獣誕生 (3ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 人間、ギリギリのところに来ると、その人の本質が出るといいます。それまで僕を培ってきたもの、アニマル浜口のすべてが出た言葉でした。

 僕のゲキを聞いて、京子もギラギラと燃え上がる野獣の目で相手を睨みつけ、見事フォール勝ちしたんです。残るは決勝戦、僕はもう一度、京子に声をかけました。『山登りにたとえれば、今はまだ9合目だ。俺たちは優勝するためにやってきたんだ。劉選手を倒したとはいえ、ここで浮かれているわけにはいかない。頂上まであと少しだ。もう一度、死にもの狂いでがんばれ!』と。京子はふたたび野獣となり、アメリカのクリスティ・スタングレーン選手に4-0で勝って初優勝を飾りました。

 すべては通じていました。吉原社長がつけてくれた"アニマル"というリングネームに込められた思い、その教えが僕を通じて、娘へと一直線に......」

 話を少し戻そう。1966年10月、吉原が日本プロレスを退職して国際プロレスを設立した10月5日の時点で、日本にあるプロレス団体は、1963年に亡くなった力道山が創設した日本プロレスのみだった。15年間不敗を誇ったプロ柔道家・木村政彦率いる国際プロレス団(吉原の国際プロレスとは別団体)、同じく柔道出身で木村に次ぐナンバー2の山口利夫が設立した全日本プロレス協会(後の全日本プロレスとは別団体)は、すでに消滅。1週間後の10月12日、日本プロレス社長を解任された豊登(とよのぼり)がアントニオ猪木を誘って東京プロレスを立ち上げたが、これも1年持たずに分裂して崩壊した。吉原はジャイアント馬場を擁するトップ団体――日本プロレスに必死に対抗しようとしていた。

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