藤田和之が元大関・バルトと真っ向勝負「体ひとつでぶつかるだけ」 (2ページ目)

  • 松下ミワ●文 text by Matsushita Miwa
  • 保高幸子●撮影 photo by Hotaka Sachiko


──では、藤田選手にとって、PRIDEはどういう場所だったんですか?

「師匠の言う『闘いを忘れるな』ということで言うと、120パーセント『闘い』ができた場所だったかもしれないですね。僕が重きを置く『闘い』という意味では、PRIDEのようなリングは水が合っていたのかな。それこそ、僕が新日本プロレスでデビューしたばかりのグリーンボーイだった頃から、声をかけてくださっていた榊原(信行)代表(元PRIDE主催者、現RIZIN主催者)への恩もありましたしね」

──90年代にUFC含めいろんな格闘技イベントが出てきた当時、新日本プロレスの現場監督だった長州力さんは、新日本の選手たちに「そっちには触るな」と言っていた反面、頭の中では「誰だったらヒクソン・グレイシーに勝てるか」を真剣に考えたらしいんですよ。それで真っ先に浮かんだのが藤田和之だった、と。

「そうなんですか? じゃあ、そのときに言ってくれればいいのにねえ。ホントにさ(笑)」


──当時の新日本の若手選手には、藤田さんを含めレスリング出身の強豪がたくさんいましたよね。「腕試しをしてみたい」という気持ちはあったんですか?

「自分の中で、腕試しをしたいというのは確かにありました。まあ、若い選手はみんなそうだったと思いますけど。プロレスラーは強くなくちゃいけないということで入ってきていますから。ただ、『アマチュアを捨てろ』とも言われました。技術うんぬんだけじゃないのがプロレスだ、と。片や、猪木さんからは『プロレスラーは強くなくちゃいけない』とも言われたりして。今なら両方理解できますけど、若い頃は『どっちなんだろう』って(笑)」

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