勇敢さとしたたかさ。金メダルのベイカー茉秋が新時代の柔道を切り拓く (2ページ目)

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • photo by JMPA

 上水監督は、そもそも初戦の時点でベイカーの金メダルを確信していた。

「朝に(男子監督の)井上康生と会うと、『大丈夫ですよ。朝からステーキ食べていましたから』と。初戦(2回戦の)の試合を見ても、大内から背負い落としなんて、見たことがないです。オリンピック最初の試合で、これまで使ったことがない技で勝った。大舞台で血が騒ぐのでしょう」

 ベイカーも「すごく調子がよかった」と1日を振り返る。今年に入って両肩を脱臼したが、その状態も問題がなかった。

「7月に入って、炎症が引いて状態が良くなってきて、それと同時に調子も上がっていきました。ただ、決勝戦の前は、緊張で3回も嘔吐しましたね」

 朝からステーキを食べれば、そりゃあ胃ももたれるはずだ。動揺はなかったのだろうか。

「いや、むしろ体が軽くなりました(笑)」

「超」のつく天然児のベイカーが柔道を始めたのは6歳の時だった。その年(2000年)、シドニー五輪の100kg級をテレビで観戦し、鮮やかな内股「一本」で金メダルを獲得した井上康生に憧れた。当時の映像と自身が受けた衝撃はいまだに脳裏に焼き付いている。16年の時を経て、ベイカーは井上と同じ東海大4年生で世界の頂点に立った。

「井上先生の内股のように格好よく終わりたかったんですけど、なかなかできなかったです。でも、金と銀では全然違うということは、すごく分かっているので、その気持ちがポイントを取ってからの試合運びに出てしまったという感じです。母子家庭で育ってきたので、女手ひとつで僕を育ててくれた母に勝って恩返しをすることが、五輪という最高の舞台でできたのが本当にうれしい。僕にはこれくらいしかできないので」

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